服を着替え、いかにも気楽に、いつもと同じように「ちょっと出てきますね」と言葉をかけ、家を出ると市場へと向った。
人が集まり喧噪し始めているはずの街の音は相変わらずよく聞こえず、良い天気で温かく眩しいはずの日差しも感じられない。
市場に面した白鳩便の出張所で届け先を言うと、係の者は困った顔をしてみせた。
つい、いつものように「鳩を頼む」と言ったが、よく考えれば一市民が眞王廟に民間業者の白鳩便で連絡を取るなんてことは有り得ないだろう。
「お客さん、早馬ではいかがですか。それなら手配できますが」
「ああ、そうしてくれ」
差し出した上等な封筒の表書きを見て、係の者が再び困った顔をしている。
「あの、これでだけで受取人は分かるんでしょうか」
「大丈夫。先方は分かってるから」
そこにはごく限られた者だけに分かる花押が、細いペン先で美しく書かれていた。
金と共に係の手に渡ったその封筒を見て思ったのは、
(また一つ、彼が俺から離れていく)

次に訪れたのは葬儀屋。
店自体はまだ閉まっていたが脇のドアを叩き、時間を問わない訪問客に慣れた主は俺の顔を見ると何も言わず、店内へと案内した。
引き出しから取り出したノートを見ながら、以前、俺たちが頼んだものを確認していく。
葬儀の手配、花はどれをどのくらい、弔問客に出す食べ物と飲み物。彼を入れる棺、埋葬する墓地の場所。
俺の耳に届いていないことはどちらも分かっていたが、もう一度確認するのが主の仕事だ。
「では、午後にお宅に伺います。埋葬の手配をするので、出棺は明朝となります。それでよろしいですか」
「ああ」
「この度は……御愁傷様です」
立ち上がった俺に向ってそう言うと深々と頭を下げる主を見て、やっと彼の死を実感した。

戻った家は出迎える人も、「お帰り」という言葉もなく、ただ虚空が支配する場で、急にどうしたらいいか分からなくなった。
「ねえ、なんかし忘れたこと、ありますかねぇ」
ベッドの脇にひざまづいて身体を預け、彼の手に触れながら、そう囁いた。
あるはずのない返事を待ち続けているうちに一つ、思い出した。
衣装部屋の箪笥を開けて、中から骨牌を取り出す。
「ヨザック、これ」
「なんです?骨牌じゃないですか」
「その、村田になんかあったら……なっ」
こっそり渡された骨牌に向って、
「グリエより通信。今朝、亡くなられた。以上、通信終わり」
それだけ告げ、いつものように火に焼べるつもりで居間の暖炉を見ると、昨晩消したままだったことに気がついた。
灰を始末し、新たに焚き付けで火を起こし、追加した薪に燃え移ったところで骨牌を投げ入れた。
焼べられた骨牌が光を放って燃え上がり、跡形もなく崩れ落ちる。
何度も見てきたはずなのに、こんなにも一瞬だったとは。
とぼとぼと寝室に戻り、添い寝するように彼の肩に顔を埋めた。
(あなたの魂はまだここにいるんですか、それとも……もう呼ばれてしまったんですか。
満足な……人生を送れましたか。
あなたの声が聞きたい、あなたが……恋しい。
まだ、早いですよ。
もっと一緒にいたかった。
ねえ、ムラタァ……猊下)

*****

馬車の止まった音に玄関のドアを開けたのは、部下の一人、ルーシーだった。
「ヨザックさん?」と言ったきり、俺と、腕の中のムラタァに視線を移し、静かに後ろに下がると俺たちを通した。
カーテンが開けられて室内は明るく、隅々まで程よい温かさと、お湯の湧く音がする。
再びベッドにムラタァを寝かせていると、「あの……」とルーシーが声をかけてきた。
「ん?」
「葬儀屋さんがいらっしゃいました」
「分かった」
手配された人々はプロらしくテキパキと準備をしていく。
居間の家具を動かし、台を作り、棺桶を設置すると寝室からムラタァを移す。
「埋めちゃうのに、もったいない」と彼は言ったが、永き眠りにつくのだ、できるだけ丈夫で寝心地の良いものを探し、店でも高級な部類に入るナラ材で細かな細工が施され、内側は薄いピンクの布が張り巡らせてあるものを選んだ。
実際に寝てその感触を確かめるという、ほとんどの人はしないであろう行為を嬉々として実行した彼は、棺桶の中から「オレンジはないの? ここで寝たら、薔薇色の夢を見そうだ」と言って店の主を苦笑させたが、結局、張り替えにかかる費用を聞くと、次に苦笑したのは彼だった。

店から出て家に帰る間、彼が楽しそうに懐かしい古いチキュウの歌を、一部変えて歌っていた。
“Give your heart and soul to me.
And life will always be La Vie en orange”

「ああ、字余り。ブルーでも良かったな」
俺の瞳を見ながら微笑む彼の顔が、今も浮かんでくる。
弔問客用に食器とグラスがキッチンに持ち込まれ、軽食と飲み物が盛られていく。
葬儀に相応しい服に着替え終えた頃、玄関に吊るされた白い花のリースを見て、近所から客が訪れ始めた。
2つの店から来た同僚たちは無言で俺を抱きかかえ、ムラタァの前で頭を垂れてしばらく佇んだ後、静かに帰っていった。
やがて、どこで知り合ったのか、俺の知らない人たちが後から後からやって来て弔意を表す言葉が繰り返され、家の中に人が溢れていく。
彼に世話になったこと、彼が教えてくれたこと、彼に可愛がってもらったこと。
ここで築いた彼の生活をみんなが教えてくれた。
(彼らしい。すっかり、馴染んでたんだ)

……表情が、微笑が、戻ってきた気がする。
やがて夜になって人々が帰り始め、食器を片付け終わった葬儀の世話役が「蓋を閉めましょうか」と聞いてきた。
棺に鍵はない。見たければいつでも開けることはできる。
だが、一度閉めてしまったら、俺には開けられるか……自信がない。
「いや、そのままにしておいてくれ」
「……そうですか。では、明日参ります」
再び二人きりとなったが、話しかけても答えのない夜は……いつまでも明けないように感じた。

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