「あれっ、陛下?」
午後の予定をサボるべく、中庭の植え込み裏をこっそりと進んでいた俺に声がかかった。
このジャージーなハスキーボイスの持ち主は……ヨザックだった。
「しっ、ヨザック。静かに!!」
「まぁ~たサボろうってんですか?」ニヤニヤ笑いのヨザックは手すり越しにこっそりと話しかけてきた。
「だっ、だって、採寸って……苦手なんだ。ほら、ズボンの場合、その~、手が触れるだろ? あれ、イヤなんだよ。」
「そうは言ったって、お針子さんたちだって仕事ですし。何だったら俺がやりましょうか?」
「野郎の手なんて、もっとイヤだよ。とにかく、俺はここには居ない、いいなっ?」
「へぇ~い、分かりました。せいぜいうまく逃げ仰せてくださいね。そんじゃ俺、閣下に呼ばれてますんで、失礼します。」
「……あっ……ヨザック。」
「んっ、何です?」
「もう……」
「……今日から通常勤務に戻ります。」
一瞬の躊躇を見せたが、はっきりと言い切った。
「そっかぁ……」
「ええ、そうです。ほらっ、陛下、突っ立ってると見つかりますよ、頭を下げて。次の角は植え込みの間が狭いんで、隠れるにはちょうど良いですよ。」
「分かった。……その~……帰ってきてくれて、ありがとう。」
「いやだなぁ。俺は閣下の忠実な下僕だしぃ~、坊ちゃんの夜遊び仲間じゃないですかぁ~。」
「あははっ、そうだな。また、夜遊びしようなっ。」
「はぁ~い、楽しみにしてまぁ~す。じゃ、失礼しますね。」
艶を取り戻したオレンジの髪を揺らし、広い背中を見せながら、しっかりした足取りで回廊を去って行く。
(……もう大丈夫なんだな?、俺がしたことは……あれで良かったんだよな? ヨザックにとっても、村田にとっても……)

なあ、村田。お前、気づいてたか?
お前が紹介してくれたガールフレンド達、髪も瞳も体型もみぃ~んな違ってたけど、一つだけ共通点があったことを。
みんな、まさに女神のような柔らかい笑顔でお前を見てたぜ。
お前が本を読んでたり、書類に署名してる後ろで、それこそ守護天使のように浮かべていたヨザックと同じだった。
それで、お前がヨザックを忘れていないことを分かったから、ヨザックがお前を連れ帰りたいって言ったとき、許したんだ。
ただ、お前、頑固だろ? いくらヨザックが迎えに来たって言ったって素直に帰ってくるとは思えなかったし、地球の生活も楽しんでたし……。
だから、村田が地球での生活を終えてもいいと、ヨザックと一緒に行こうと思える時が来たら、連れて帰ってこいって言ったんだ。
まさか10年もかかると思わなかった。

執務室のドアが開き、通信担当の兵が入ってくると敬礼状態で伝達内容を伝えた。
「閣下、グリエより通信が入っております。
—早朝、亡くなられた—
とのことです。返信はどう致しましょうか?」
そう伝えた兵士はフォンヴォルテール卿の鋭い視線を受け、更に直立体勢を強化した。
「返信は不要だ、下がってよい。」
「はっ、失礼致します。」
一人になるとフォンヴォルテール卿は「逝ったか……」と呟き、一呼吸置くと、椅子から立ち上がって執務室を後にした。

隣国大使との昼食会を控え、城内の慌ただしい雰囲気を気にすることもなく、フォンヴォルテール卿は魔王陛下の私室のドアを開けた。
「あっ、グウェンダル。助けてくれよ、いつもの服で良いって言ってるのに、メイドさん達があれこれ着せてくるんだ!!」
広い私室のあちこちに広げられた服と右往左往しているたくさんのメイドに囲まれ、苦笑半分、困惑半分の魔王陛下がいた。
「お前達、ちょっと控えてくれ。」
いつも以上に腹に響く低音で言われたメイドたちは慌てて部屋を辞した。
「うわぁ、さっすがぁ。ほんと助かったよ。」
「陛下、……グリエから連絡があった。猊下…ムラタが今朝方亡くなったそうだ。」
「えっ?」
「もう一度言おうか?」
「……いや、聞こえたよ。そうか……この前会った時は元気だったのに……」
「どうする?」
「時間……作れるかな?」
「昼食会後なら。」
「そっか、……王様だもんなっ……。」

昼食会を円満且つ早々に済ますと、変装の手間も惜しんでグウェンダルと共に二人の住まいへと駆けつけた。周囲を気にしつつ抑えたノックに答えて玄関のドアを開けたのはヨザックだった。
「陛下、閣下、わざわざお越しいただいて……、どうぞお入りください。」
憔悴の色を隠そうともしない彼を見ることが耐えられなかった。
無言のまま案内された寝室のドアごしに、きちんと身支度を整え、ベッドに横たわっている村田が見えた。まるで昼寝しているようにも見え、でも寝ているにはどことなく不自然で。
「具合……悪かったのか?」
「数日前から熱を出してて……風邪だと思ってたんです。それが……あっけなく……」
「そっか……。それで、この後は?」
「葬儀屋には連絡しました。後のことは全部ムラタァと相談してありましたから。」
「事前準備を怠らないのはアイツらしいな。」
「ええ、まったく。」
一息つくとやっと室内に歩を進め、枕元に立ち、しばらく村田を見つめた。
胸の上に重ねられた手に触れるとひんやりとして、寝ているわけでないことを実感した。
と同時に、現実からの逃避なのか、妙なことに気づいてしまった。
ピンと張られたように見えていたシーツの手前側だけに皺がある。
上を向いていたように見えた村田の顔が僅かに向こうに傾いでいる。
襟元とシーツに湿ってできた僅かな変色の跡。
そうか……、ヨザックは俺たちが来る直前まで寄り添っていたのか。

しばらくすると玄関のドアを叩く音がしてヨザックが部屋を出て行った。
「なぁ、グウェンダル。ヨザック、大丈夫かな?」
「アレは兵士だ、別れには慣れている。」
「そういう言い方……」
するな、と告げようとしたとき、玄関からヨザックの怒鳴り声が聞こえてきた。
「バカなこと、言うんじゃねぇ!! 誰がそんなことに従うと思ってるんだ!!」
玄関に駆けつけると、さすがに手は出していなかったが、体格差を恫喝の武器にしたヨザックと、負けじとする眞王廟の衛士がいた。
「なんで眞王廟の衛士が来るんだよ?」
俺の姿を見た衛士が慌てて恭順の意を示そうとしたのを止め、「玄関先じゃ、人に見られるから」と部屋に入ってもらった。
「も一度聞くけど、眞王廟の衛士がここに何の用なんだ?」
「ウルリーケ様が猊下とヨザックをお連れするようにと」
「村田は……亡くなったんだ。」
「存じております。ですから、お連れするようにと。」
部屋の片隅で無言のままこちらを睨みつけていたヨザックは、この言葉に吠えた。
「『魂は呼ぶ』と言ったんだ。なんで体まで必要なんだ!! ウルリーケ様は魂だけじゃなく、ムラタァまで俺から取り上げるのか?」
「なんだって!? それ、どういうことだ、ヨザック!!」振り返った俺は、己の感情を制御できなくなりつつある獣をそこに見た。
「陛下、グリエ、詳しくはウルリーケ様にお尋ねください。私はお連れするようにと命じられただけなのです。」
「行ってみるしかないようだな。」
グウェンダルの一言は暴発しそうな俺とヨザックに冷静を取り戻させた。
足音を響かせて寝室に向かったヨザックは村田を大事そうに抱きかかえて戻って来た。
俺たちは衛士の用意した紋章のない普通の馬車に乗り込み、眞王廟へと向かった。

宣託の間にはウルリーケと、壁際にクリスタル製の器を抱えた巫女が一人、ヨザックと村田を待っていた。
「陛下と閣下もご一緒とは知りませんでした。グリエ、よく猊下をお連れしてくれましたね。」
ウルリーケが静かに近づき、抱えられた村田に触れようとしたが、ヨザックの「触れるな。何の用だ?」という低い声に動作を止めた。
確かに、普段、立場を度外視した振る舞いをするヨザックではあったが、どこまでなら大丈夫かを常に計っている彼がここまで傍若無人とした態度を示す事はなかった。冷静に見えても内心は猛り狂っているようだ。
「猊下の魂をお呼びしたのですが、いらしていただけなかったのです。ですから、まだお身体の中か、またはあなたの近くにいらっしゃるかと思い、来ていただいたのです。」
「そんな戯言、通じると思ってんのかよ。」
「戯言ではありません。前に話したことを覚えていますか? 魂は普通『見えないもの』なのです。猊下の魂もやはりそのままでは見えないのですね。では、私にどう感じているのか、見せてあげましょう。」
ウルリーケが祈りの姿勢を見せると、暫くしてヨザックの頬から耳のあたりを、まるで内緒話でもするようにゆらゆらと漂っている薄らと光る小さな球状のものが見えてきた。
これが……村田の魂……か?
「見えますか? 猊下の魂は貴方から離れようとしないのです。猊下はこのようなことを危惧されていらっしゃいました。」
「だが、ムラタァは……」
「お会いした後、猊下は書状をくださいました。もしかしたら呼ばれてもいかないかもしれないと、その場合はヨザックを呼ぶようにと。」
「いつ、村田と会ったんだ? それに『呼ぶ』ってどういうことだ?」
二人の会話に強引に割り込む形で口走った俺に、ウルリーケははっきりと言い切った。
「陛下。これはヨザックを立会人とした猊下とのお約束で、陛下はもちろんフォンヴォルテール卿には関わりのないことなのです。」
「そうなのか、ヨザック?」
「はい。これは『猊下』のご遺志です。でも、書状の話は聞いていない。どうして俺を……」
「猊下は多分、今度は貴方からちゃんとお別れを言って欲しいのだと思います。」

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