・ 9 ・

陛下のゴーグルを外して地面に寝かせ、肩から頭を膝に乗せて首筋の傷以外に傷がないか改める。幸い、他にはないようだ。
近づいてきた猊下は跪くとまるで恐る恐ると言う感じで乱れた陛下の髪に触れ、ただ「すまない」と洩らした。
「『皆の』責任じゃなかったんですか」
俯いたまま、横目で俺を睨んできた。
「陛下だって悪い。自分の力を過信して、臣下の注進を撥ね除けて出たんだ」
「それでも──」
「陛下に『護られることになれなきゃいけない』って言いましたよね。だったら、俺はアンタにこう助言しますよ、『すべての責任を自分一人で担えるなんて考えてるようじゃ、賢者どころかバカ丸出し』ってね」
堪えていたかように息を思い切り吐き出すと陛下の襟元を掴んだ猊下は、「渋谷、いい加減目を覚ませ!、渋谷っ!」と揺すり始めた。そのせいか瞼と唇が微かに動いた気がする。いつまでも起きない陛下に業を煮やした三男閣下は「こうなったら」と杖代わりにしていた棍棒を振り上げ、今にも振り下ろしそうだ。(閣下ぁ、そりゃやりすぎですって)
「っわあッ、よせやめろヴォルフラム!」
起きかけた陛下は頭を押さえると再び俺の膝に横たわった。何に頭を預けたか気付いてウヘッとした直後、猊下から手荒く口に放り込まれた雪玉にゲホゲホ言いながら「なにすんだよっ!」と文句を言ったが、周囲を見回すと「……なあヴォルフ、コンラッドがいない」、そう言って顔の半分を手で隠した。
「少しは自分の心配をしろよ!、君はあそこから落ちたんだぞ!? ウェラー卿が、うまく掴んだくれたけど。そうじゃなきゃ、全身骨折しててもおかしくないんだ」
猊下が指し示した円形舞台からはドサッ、ドサッと雪の塊が落ちてくる。
「あれは」
「埋まった奴を救助してるんだ。おまえがやったことだろう」
「おれが!? 埋めたの!? 誰を?」
「誰って……まったく覚えていないのか?」
「てことは、おれまたやっちゃったんだな。いやそれより埋めたって誰を。まずい、その人まさか」
「フォングランツなら生きてますって、まったく、しぶとくてヤんなっちゃう。でも、あんな凄い魔術披露しながら記憶にないってのも損な……、あっ、どれだけ壮絶で恐ろしかったか知らずに済むって、損じゃなくて得……ですかね」
「また凄まじくて下品でグロテスクで、品位を疑われることしちゃったんだな、おれ」
「やだなぁ陛下、美しさが全てってわけじゃないですから。それよりアーダルベルトをぎゃふんって言わせてくれただけで、そりゃもう胸のすく思いですよ」
(まっ、俺がやれなかったのはちょっと残念だが結果には満足だ。アイツは今後も陛下に付き纏うだろうが、あれを聞いたからには今までとは違ってくるはずだ)
「なんで生きてんだか、不思議。……どうしちゃったんだろう、おれ」、首の傷に触れ、指についた血を眺めながらぼんやりとしている。
「今に始まったことじゃない。首の怪我をなんとかする。グリエ、針と糸を持ってるか」
陛下の傷をのぞき込んだ三男閣下が本気で言ったのかどうかは分からない。いくらなんでも裁縫用の針と糸じゃあ……、たぶん、閣下流の皮肉なんだろう。
「持ってますよ。服の寸法直しは必須ですからね。なんだったら俺が縫ってさしあげましょか? 自信ありますよ、俺」、ちょ~っと便乗してみた。
「縫うの? 麻酔もなしで!? ていうかあの癒しの術でやってくれよっ」
「僕がこんな場所で魔力を使えると思っているのか!?」
「諦めるんだね。みんな必死で止めたのに、君が勝手に暴走しちゃったんだから」
「おまえ、段々意地悪キャラになってねーか?」
(あのね、陛下。この人の言葉は素直に聞かない方がいいですよ、いくらあなたでもね)
「ああっホラ、救護班の皆さんが! どうせならプロの治療受けさせてくれよ!」
通用口から駆けて来た白服の第一声は、「あぁ陛下、なんて痛々しいお姿なの」
「は?」、「えっ?」、「母う……え?」、「ツェリさ……ま?」
(かがみ込んだツェリ様の胸元は必要以上に大きく開き、俺の位置からは実に良く……いや、そうじゃなくてっ!!)、昔っから知っている俺でさえちょっとドキドキなのに、俺以上に免疫のない陛下はまともに言葉も言えない。
「ええ陛下。あ、な、た、の、ツェツィーリエよ。とーてもお久しぶりね。傷つき血に染まるお姿も官能的だわぁ」
「闘技場は女人禁制ですよ。いったいどうやってこんな所まで……」
「しーっヴォルフ。ちょっと衣装を拝借しただけよ。あたくしのように完璧に美しい者は、どんな服でもきこなせるものなのよ。ね、ヨザック」
(膝の着き具合、こういう位置関係での胸元の見せ方、うん、覚えとかなきゃ)、「感服です」
陛下の首に手を伸ばそうとしたツェリ様は場所を譲った少年を見て、身を捩りながら、
「あぁこちらが噂の猊下ね? 聞いた通り髪も瞳も黒ではないけれど……でもすごく、とっても可愛らしい方! あぁん、正式にご挨拶して、熱い抱擁を賜りたいのだけれど……猊下、どうかお許しください。礼儀知らずな女だとお思いにならないで」
「かまいませんよ、上王陛下。今は渋谷の傷を見るのが先ですから」
魅力的な女性を前にした男としての動揺は微塵も見られず、むしろ社交的笑顔を見せながら冷静な態度だ。(ふぅーん、グラマラスな美人はお好みじゃないってことかしら?)
「まあ上王陛下だなんて、ツェリってお呼びになってね。陛下の傷は……大丈夫、この程度なら無理に縫わなくてもよくってよ。けれど、神殿を控えてそこいら中に法力に従う要素が満ちているこんな逆境で、強力な力を発揮できるなんて、ほんとうに陛下は偉大な方ね」
美しく手入れされた指先が陛下の傷を探った後、少しずつ慎重になぞっていく。
「組織を繋げるから少し痛むわ。包帯で巻く前に軽くでも塞いでおけば動くのが楽になるから」
「だ、大丈夫だから、やっちゃってください」
男らしい言葉だが、無意識に緊張と痛みを傍らにいた人の手を握る事でやり過ごしている。
(残念でしたね、睨んだって遅いですよ。あの位置を確保できなかったのは閣下の落ち度ですってば)
「やっぱりこの場所では応急処置しかできないみたい。布で覆いますけど、あまり激しい運動はお勧めできないわ……あら、なんて思わせぶりね」
明るく言った後、ツェリ様は母の顔を見せた。(俺はこういうツェリ様の方が好きだ)
「コンラートのしたことを許して頂戴。息子に成り代わって謝るわ」
「ツェリ様が謝ることじゃ……」
「いいえ。すべての発端はあたくしにあるの。あたくしの無知があの子をどれだけ辛い目に遭わせたことか。悔やんでも悔やみきれないくらいよ。でも陛下、これだけは信じてあげて。あの子は決してあなたを裏切ったりはしないわ。きっと何か事情があるのよ。今は明かせない複雑な事情が、だから……、あの子を信じてあげて」
そう言うと、心からの謝罪と母としての祈りを伝えるように自分と陛下の胸に手を置いた。
「……信じるよ。理由もなくおれの敵になるはずがない。さっきだって……覚えてないけど助けてもらったわけだし。……今はまた姿がないけどね」
「でも生きてる」
しんみりしている三人の向こうから審判がこちらに来ようとしている。慌てて覆い被さるように身体で陛下の顔を隠した。
「グリエ、何をしている!」、どうやら三男閣下に誤解されたようだが、そんな場合じゃない。
「陛下、マスクは?」
「尻のポケット……だけど?」
「審判が来ます。失礼しますよ」
尻のポケットを探り(また、三男閣下に誤解されそう)マスクを引きずり出すと陛下に被せた。
「もういいだろう救護班。カロリア代表、速やかに移動するように。これから殿下のお目通りがある」
「面倒だから代理にヴォルフを」と言った陛下は「直々に願いを申し上げることができる」と聞いて、やっと自分たちが優勝したことに気がついた。猊下も三男閣下も呆れてるし、俺も密かに(遅いですってぇ!)と思ったが、よくよく考えると魔王モードの後は気絶してたし、俺たちも言わなかったし……。
俺に支えられてやっと立ち上がった陛下に、ツェリ様の陰にいたフリンが「……おめでとう」と声をかけた。
「これは一応、あんたの旦那の勝利なんだからさ」
(まったく、どこまで人がいいんだか)言われたフリンが更に俯いて黙ってしまい、陛下は戸惑っている。
「複雑だねー、乙女心は」
むしろ猊下の方が照れ気味だ。(ほーんと、分かってないのは陛下だけ)

ありがたくも『殿下』が優勝チームに祝福のお言葉ってやつをくださるってんで、やたらと長い階段を登らされている。陛下は怠そうで「よければ背中をお貸ししますよ」と声をかけたが、「年寄り扱いされたくない。ただでさえ年齢に非常識な開きがあるのにさ」だって、そりゃそうですけど。
三男閣下の腰もやはり辛そうだが、ちょこっとツェリ様に癒し術を受けたのでなんとかなっている。 猊下は……日頃、運動してないのが明らかで、少々顎を出し始めている。
やっと辿り着いた謁見室は何から何まで、ぜ~んぶ黄色。気色悪いったらない。(猊下曰く、チキュウにもこういう場所があるらしい。それにしても『便器の奥まで黄金』って、伯父上っていうとフォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナ閣下? あの人、そんな悪趣味だったのか? さすがに便器の奥なんて調べないもんなぁ)
庶民派魔王陛下としては自分だけそういう経験がないことに落胆しているようだったので、
「まあそう気を落とさずに。俺もそんな金ピカの部屋なんて住んだことないですよ。血と汚物の匂いの充満した、真っ暗な拷問部屋には七泊しましたけどね。やー隣の客がよく叫び狂う客でねぇ、悲鳴がガンガン聞こえてくるんですよぅ」
(あら、ちょ~っと気持ち悪そう。言わない方がよかったかしら)
御簾で隠された奥の人物に向って案内係が優勝チームである俺たち小シマロン領カロリア自治区代表が到着したことをまくし立てると、腰を低くして奥からの言葉を待った。
何も返ってこないことを不審に思ったのか、もう一度案内係が「殿下、拝謁を賜りたく……」と声を張り上げると、やっと御簾の向こうから返答があった。
「殿下じゃないよ、朕だよぉ」
わがまま一杯に育てられた貴族のお嬢ちゃまが人違いされて、舌ったらずな口調でムクれたような感じだ。(えっと、『朕』ってことはベラール四世陛下だよな。確か野郎で、30~40歳代じゃなかったっけ?)
驚愕した案内係は胸に両手を押しあてながら、御簾の向こうにいるのが『陛下』であることを確認してる最中、ドタドタ、バタバタと案内係やら武器を持った警備兵が駆け込んできた。
「どんな朕だと思う? 僕の予想じゃ眼鏡っ子かな!」(いや、それはないです)
「お前は巫女さんが好きなんだろ」(ミコって女の名前かな。とすると、へぇー、どなたかお好きな方がいるのか。うん、これも良いからかいのネタになりそう)
俺たちを放っといて慌てまくっている奴らを眺めていると、少し遅れて入ってきた中年兵が大声で一大事を報告した。
「隊長殿、報告いたします! 地下警備隊の申告によりますと、どうやら宝物庫に賊が侵入した様子です」
それを聞いた案内係兼隊長殿は三文芝居に登場した大根役者のように大げさに驚き、俺としては(よっしゃぁ!)と悦に入っていた。が、次の瞬間、今度は俺たちが驚愕する番だった。
「朕の箱が盗まれたのぉ!?」
(案内係兼隊長殿、大根役者なんて思って悪かった。あんたの方がまだ自然だったよ)
御簾を勢いよく払いのけ、引きずり下ろして飛び出してきた、どぎつい色彩を纏った道化師は──、いや、ベラール四世陛下は部下に抱き起こされながらも「箱が盗まれたのぉ!?」と繰り返している。(ああ、この声にこの喋り方、メチャクチャな色使い……頭が痛くなる)
「大丈夫です陛下。価値のない物と偽装したのが功を奏しました。盗賊は魔王像といくつかの装飾品を持ち去った様子です」
(えっ!? まさか艦長たち、失敗した上に余計なもん盗っちまったのか?)
「魔王像って、頭がゾウのやつぅ? 純金でも法石でもないよぉ、あんなもん盗んでどう使うんだろうねぇ」
(まったくだ。俺も知りたいよぅ~、って、うへっ、つられちまったぜ)
うんざりするほど芝居がかった道化師と大根役者の会話が続く中、半分残った御簾の向こうで人影が動くのが目に入った。
その間にも、「この世は不平等に満ちてるんだもぉん! だってほら」、ベラール四世はおよそ筋肉とは縁のない、貧弱で張りのない二の腕に彫られた二本のラインを衆目の中に晒した。
「こんなにそっくりに作っても、朕には箱が使えないんだもぉん!」
(あの左腕の二本の入れ墨が、箱の鍵の、目印? バカな、コンラッドにはそんなもん、始めっからないぞ)、元々甲高い声が興奮からますます高くなり、思わず耳を塞ごうと上げかけた手をぐっと堪えた。ふと見ると、三男閣下は剣に手を伸ばしている。(閣下、気持ちは分かりますが、この場でそいつはマズいですよ)
この部屋の誰もが王の狂気に耐えてる中、ベラール四世は俺たちを、いや、猊下を除いた俺たちを凍らせる、特別な言葉を口にした。
「ベラール一世の腕も二世の腕も役に立たなかったんだよぉ。不公平だよぉ! 朕もウェラー家に生まれればよかったのにねぇ」
俺たちの頭に浮かんだ疑問はたぶん同じだろう『なんで、ここでウェラーの名が?』だ。でも、猊下だけは次第に嗚咽を漏らし始めたベラール四世に鋭い視線を向けていた。俺にはその目がベラール四世を咎めているように見えた。単に見苦しいと思っているだけなのか、それとも『ウェラー』の名を出したことに関してなのか。どちらにしても、この人はどれだけ秘密を抱えてるんだ。
「……そしたら伯父上にも優しくしてもらえたのにねぇ。父上も弟も……亡くならずに、済んだのにねぇ……」
(暗殺? 伯父上って奴は王位簒奪を目論んでいるのか)
「見苦しいぞベラール四世」
自信と威厳を感じさせる男の声に怯えを見せている王。(『陛下』とは呼ばないのか、なるほど)
兵士たちはまるで王への敬意を示すように姿勢を正す中、御簾の向こうから『殿下』と呼びかけられた──歳のころは見かけ70歳くらい、軍人特有の姿勢の良さと足取りの確かさ、それに鷹の目を思わせる鋭い眼光を持つ──大シマロンの真の支配者がやっと俺たちの前に姿を現した。

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