単純構造の鍵なんぞ俺にとっちゃなんの障害にもならない。隠し持った愛用のナイフで音を立てず慎重に開け、ほんの少し覗けるようドアを押した。
部屋の中にあるものと言えば、壁際に置かれた薄いベット。一応、窓といえるものはあったが差し込む月の光は僅かで、くすんだ金髪と声でやっとそこに人がいることが分かる程度だ。
耳に流れ込んでくる慌てた靴音、大声で叫びあう号令や指示、ガチャガチャと武器のぶつかる音、こういう環境に閉じ込められた子供を見るのは、……イヤだった。
身を屈めて静かに室内に入ると、そのままわざと音を立ててドアを閉めた。
「誰!」、隠した怯えと精一杯の威嚇を含んだ、子供の声。
ドアの前、暗闇にかがみ込みんだまま、俺はその様子を見ていた。
「誰だって言ってるんだ!、答えたらどうだ!」、ベッドから飛び降りて肩を怒らせた、ぼんやりと浮かび上がった細いシルエット。
しばらく続いた沈黙を、溜息をつきながら肩の力を抜くことで破ると、「渋谷は……、魔王陛下の様子は?」と幾分苦笑とも取れる口調で言った。
もちろん、生国でのお名前が『渋谷有利』であることは眞魔国臣民なら誰もが知っているが、普段、俺たちがお呼びする時は『陛下』や『ユーリ陛下』、人間たちは単に『魔王』と呼んでいる。
(いくら人を疑うことのない陛下でも、さすがに人間の国でフルネームを名乗るなんてことはしないだろう。ちゃんと髪も目も隠していたし。だとすると、どこで陛下の生国での名前を知った?、まさかチキュウとやらから?)
「……大丈夫ですよ。閉じ込められてるだけ」
「そう、取りあえずは良かった。で、君は、……魔族かい?」
「俺も同じことを聞きたいんですけどね。アンタに」
闇の中に、薄らと微かな光。笑ったのか?
「腹の探り合いをしてる暇はない。君が魔族なら、……僕に従え!!」
さっきまでの弱々しい子供という姿は消え、堂々と威厳に満ち、穏やかな中に人を従わせることに慣れた姿に変貌していた。
「そう言われてもねぇ~」、その様子に気圧された俺に言えることは少なかった。
確かな足取りで俺の目の前まで近づいてきた彼は、かがみ込んだ俺の顔を覗き込むと「では、殺しに来たのかい?」と静かな声で尋ねた。髪に隠したあの魔石が……ほんの少し熱を持った。
遠目で見たときは両眼とも青い瞳だったが、こうして間近で見ると片方は陛下と同じ『黒』だ。
「君は信じるかな、過去の記憶を持って生まれるということを。僕は、……双黒の大賢者の記憶を、持っている」、優しく諭すような、それでいてどこか諦めを伴った口調。また、彼の印象が変わり、魔石の熱が高まった。
(魔石が彼に……呼応している?、過去の記憶、……本当なのか?)、決断するしかなかった。
「俺はフォンヴォルテール卿配下の、グリエ・ヨザック」
「フォン……ヴォルテール?、ああ、彼の子孫だね。宜しく、僕はムラタ・ケン」
差し出された手が何を意味しているのか分からず、ただ彼の顔を見つめていると、「こっちではまだ『握手』の習慣がないんだね」と手を引こうとしたので、慌ててその手を取り、その甲に軽く口づけた。
「うわっ、何するんだよ!」、手の甲を服に擦り付けながら文句を言う姿は、子供に戻っていた。
「えっと、貴人が臣下に手を差し伸べた時は普通……こうするもんでしょ?」、その姿にどこかホッとした。
「あっ、ああ、そうか。悪かったね。で、この後、どうする?、渋谷を連れて逃げられるかい?」、膝に手を置き、再び俺の顔を覗き込む。
「陛下お一人なら、なんとか」(一人なら、後ろに乗せて馬を全速力で駆けることもできる、だが二人となると……)
「良かった。じゃ、そうしてくれる?」、そのまま腰を下ろし、ニッコリと笑いかけてくる。
いきなり懐に入られたようで、軽く身を引きつつ「アンタはどうするんですか?」
「彼女の目的は渋谷だけだ。僕にはなんの興味もないから、すぐに釈放されるさ」、あっけらかんと言い切った。
「そうですかね~、その瞳、見られたでしょ?」と指摘すると、「片方だけじゃないか。それに、生粋のメガネっ子としちゃあ、不慮の事故に備えるのは当たり前。予備はちゃ~んと持ってますぅー!」と上着のポケットをパンパンと叩いた。
「はぁ?、それに、ここから眞魔国にどうやって帰るつもりです、子供一人で?、直行便はなし、船賃だって結構かかりますよ?」
「君が少しお金を置いてってくれれば良い。自分でなんとかできるって言ってるじゃないか」、少し口を尖らせた姿がまるで小動物のようで、可愛かった。
そんなことを気取らせないようにぐっと顔を近づけて「ダメです。逃げる時はお二人とも連れて逃げます!」と強い口調で言うと、今度は向こうが身を引きつつ、「君って結構……頑固だね」と言ったので「アンタもでしょ」と言い返してやった。
額を押し付けるようにコソッと「じゃ、どうするの?」(やっと密談らしくなってきたな)
「大シマロンの兵が来たんで、あの女は早々に陛下とアンタを連れて逃げ出すでしょう。その時なら乗り物も手に入る」、企みを共有するようにニンマリしてみせた。
「それまでは、……このままか……」と気落ちした様子の彼に、「まあ、ほんの数日です。そうだ、暗闇が怖いなら蝋燭と火打石と……後、これ。置いてきますから、イザッて言うとき使ってください」、手持ちの中からいりそうなものを手渡した。
一つ一つ確認しながら渡されたものを次々とポケットにしまい、残った小瓶をシゲシゲと眺めながら「何、これ?」と尋ねてきた。
「瓶を割ると煙が出ます、そりゃあモクモクと盛大にね。それを合図に陛下とアンタを奪還しにいきますよ」
それを聞いた彼は目の高さまで瓶を持ち上げると、いかにも楽しげに「うわっ、忍者の煙幕だね。やってみたかったんだー」とはしゃいだ。
「ねっ、それ、玩具じゃないんですから。割らないように慎重に扱ってくださいよ」
「分かってるよ、ありがとう」、大事そうにポケットにしまう。
「いいえぇ~、どういたしまして。それじゃ、そろそろ消えますね」
「うん。またね」、顔の脇でヒラヒラと手を振った姿をどう表現したら良いのか……、まるっきり寛いでいるかのようだ。
立ち上がりかけた俺はもう一つ肝心なことを思い出して座り直した。
「ん?、どうかした?」
「あのですね」
「なに?」
「その~、今後、どうお呼びしたらいいでしょう?、俺が名前を呼び捨てするのもなんだし……、大賢者様って方がいいですか?」
「えっ?、う~ん、大賢者っていうのはちょっとなぁ。呼び捨てでも別に僕は構わないけど、君が呼びにくいなら……そうだなぁ、『猊下』とでも呼んでよ」
「『猊下』、どういう意味です?」
「簡単に言えば、神様に使える神官の長の敬称だよ。どうせ眞魔国じゃあ眞王はある意味『神』扱いだろうし、その眞王に選ばれた魔王も似たようなもんだろ?、だから、神に仕える者ってことさっ」
「はぁ。それでは、猊下、これにて失礼致します」、一礼して立ち上がりかけた俺に、「ところで君のこと、しばらく渋谷には言わない方がいいよね?」、立ち上がりながら更にクスクス笑って「彼は隠し事ができないから」と続けた。
「よぉ~く、お分かりで。恐れ入ります」
大賢者の生まれ変わりじゃなくても、その度胸と頭の良さが気に入った。

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