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一旦、館を出て馬と食料を確保し、館へとって返した。奥庭に面した陛下たちの監禁されている部屋の窓が見える木の上に陣取って、観察すること3日。
賢明にも陛下は出された食事を口にしていないようだ。食料を差し入れたいところだが、俺がいることを隠しおおせるなんて腹芸はできないし、もうしばらく我慢してもらうしかない。
猊下の方は食事の小細工もされず、ちゃんと召し上がってのんびり時間を潰しているようだ。(自分が監禁されてるって自覚があるのかねぇ?)
慌ただしく動き回る人影が増え、始めに猊下が、次に陛下が部屋から連れ出されていく。
木を降りて馬を引きながら森伝いに館の正面が見えるところまで来ると、長期旅行用の馬車2台と騎乗した護衛たちが出発するところだった。
街道に出た馬車は普通以上の速力で駆けていく。だが、いくら四頭立てとはいえ何人も人を乗せた馬車だ、単騎で追いかけるくらいどうってことはない。
それに、昼間、舗装されている街道を全速で駆けても、日が落ちれば道を照らすのは月明かりだけ。速度を落とすか、森に囲まれれば留まるしかない。
追いかけること3日、そろそろ平原組の領域に入る。昨日、立ち寄った村で流した噂が届いていれば、奴らは姿を表すはずだ。
この辺りは俺の持ち場じゃないが、仲間同士の情報交換は常にしている。確か、ギルビットに嫁いだあのフリンって女は、平原組の出だと聞いた覚えがある。それに、実家とは没交渉とも。
──うまく馬車を止めてくれりゃ、その間に馬車を奪ってそのまま近隣の港に──が第一案だが、奴らが出てこないことも考えて、もう一つ策を打っておきたい。そう考えながら先回りした俺の目に飛び込んできたのは、冬を間近に枯れ始めた草を食む羊の群れだった。
この辺りの羊は飛び抜けて大きく、人を乗せたり、荷車を引いたりするという。さすがに俺は無理そうだが、確かにこの大きさなら人を乗せることもできるだろう。
(この群れが道を塞いでいたら、普通、止まるよな。もし暴走でもしたら、それに紛れて……、ってのもいいかも)
ひときわ大きい群れのボスに近づくと、持っていた岩塩を口先に差し出す。鼻先でフンフンと匂いを嗅ぐと、長い舌でペロッと塊を口に入れた。
もっと欲しいのか、グリグリと押し付けてくる頭を撫でながら、「欲しいだろ?、好物だもんなっ。ほらっ、もっとこっちにおいで」
ゾロゾロと動き出した群れに紛れながら街道へと誘導し、脇の木立に隠れて陛下たちの馬車を待っていると、街道の彼方から蹄の高らかな音が響いてくる。
思った通り、街道にバラまいた岩塩を必死に舐めている羊たちは微動だにせず、馬車は止まり、その後ろからいやに頭のデカイ男たちが追いついてきた。
フリンは始め、馬車の中から言葉を交わしていたが、ついに降りてくると男たちと派手に揉め始めた。(来た、来た、待ってたぜ! 今ですよ、猊下。分かってますね、頼みますよ!)
こっそり近づいた俺は、いつでも御者を放り出して馬車を乗っ取る気でいた。
ところが、馬車からマスクの男が降りてくるじゃないか。あの背格好、元々被っていたフリンは素顔を晒している。(ああっ、陛下! 何しようってんですかぁ)
冷静に聞けばどう考えてもつじつまの合わない話なのに、この異常事態に誰も彼も動転して訳が分からなくなっていた。(陛下、早く、早く、馬車に戻って!)
ジリジリと焦っていたところに追い打ちをかけたのが、『この人は冷静に対処できるだろう』と頼りにしていた、猊下だった。
よく分からない鼻歌を歌い、馬車からの第一歩を見事に踏み外して羊の群れに倒れ込み、なぜか手探りで地面を撫でた後、長めの口上を捲し立てている。(アチャー、アンタまでですか)
呼ばれて降りてきた、俺よりほんのちょっとばかり貧弱な女が何かを猊下に渡し、猊下は嬉々としてそれを地面に投げつけた。
俺の渡した煙瓶は予想通りの騒動を巻き起こし、怯えた羊たちは暴走を始め、陛下と猊下と、それにフリンがその背に掴まったのを確認すると、木立に隠した馬で跡を追った。

羊たちは延々と駆け続け、やっと歩みを止めたのは鄙びた村の外れだった。折よくフリンが離れた隙に声をかけようとしたが、今度は周りを取り巻いている羊たちが邪魔で近づけない。
その内、フリンは木の麓に座り込んで陛下と何か話し始め、猊下は羊たちを追い立て始めた。
「猊下、……猊下、ここです」隠れていた木立から声をかけると、まるで散歩中に知り合いを見つけたかのようにのんびりした様子で、「ん?、ああ、君か。アレ、なかなか良かったね」とこちらにやってきた。
「お見事でした。俺が陛下からフリンを引き離しますから、ここを動かないでください。ただ、馬車を奪えなかったんで、この先はしばらく歩きになりますけど、大丈夫ですね?」
「う~ん、チャンスなのは分かるけど、ちょっとここで逃げる訳にいかなくなったんだ」
「えっ、どうしてです?、この先、こんな機会があるかどうか、分かりませんよ?」
「彼女、大シマロンに『箱』があるって言ったんだ」
「ああ、なんかそんなこと言ってましたね。なんなんです『箱』って?」
「眞魔国では伝わっていないの?、絶対に触れてはいけない、4つの『禁忌の箱』の話」
「由緒正しきお貴族様ならともかく、俺たち庶民にはちっとも……」
「そうか。とにかく、君は渋谷を国に連れて帰ってよ、僕はここに残って話の信憑性を確認する」
「はぁ?、何言ってるんですか。いいですか、俺はお二人とも連れて帰るって言ってるんですよ?」
「だからぁ、僕にはすることがあるんだって」
「俺にもすることがあるんですけどねぇ」
「いいから、言うことを聞けよ!、眞魔国の兵なんだろ」
「アンタ、……なんか勘違いしてませんか?」
「僕がだって?、どこが間違ってるんだ。渋谷の安全が第一優先じゃないか!」
「確かに俺は眞魔国の兵士だが、従うのは『魔王陛下』にだ。アンタにじゃない」
(きつい言い方だってことは承知の上。俺と猊下の意図が『陛下のため』ってことで一致している限り、猊下の命令に背くつもりはない。ただ、相手構わずこういう言い方をしていたら、国のお偉いさんたちに間違いなく反感を持たれる。それは陛下にも、猊下にも、得にならないどころか不穏の種になりかねない。もっとも、それが分からないほど愚かとも思えないんだが)
文字通り見下してる俺を蒼白の面で睨みつけていたが、やがて、静かに視線を落とすとやっと声を取り戻したように「……そうか……」と呟いた。
「そうですよ。……でも、だからってアンタの、……猊下の言うことを聞かないって訳じゃない」
「それじゃ、どうする?」
「それほど言うってことは、相当ヤバいんでしょうね、その箱。だとしたら調べなきゃいけないと言うのも分かります。だから、こうしましょう。もう少し、あの女と一緒に行ってみましょう。但し、俺がこれ以上は危険だと判断したら、四の五の言わせず引きずってでも連れて帰ります。いいですね」
やっと俺に視線を戻すと僅かに笑みを浮かべながら、「君はまったく頑固だね。はいはい、分かりました。ところで、この先お金がいると思うんだけど、この羊たちの相場って、いくらくらい?」
なんで、羊の相場──と戸惑いながらもおおよその値段を云うと、「さぁ~て、うまくいくかなぁ」と言いながら、チラチラとこちらを見ながら何か相談をしている親子に近づき、「こんにちは~、さっきからこちらを見てるけど、もしかしてこの羊たちに興味、あります?」と声をかけ、いつの間にか価格交渉を始めていた。
いくらくらいで話をまとめるのかそれとなく聞いていると、猊下の誘導にはまった親子は、結局相場より少し高めの代金を支払っていた。(この前といい、今といい、この人の舌先三寸で人を煙に撒く才能って、大賢者ゆずりなのか、元々そういう人なのか……)
代金を受け取っての別れ際、猊下は思いついたように娘の名を聞き、その結果、にこやかに親子と俺に手を振って陛下たちのところに戻る途中から、おかしくてたまらないといった感じで大笑いを始めた。何がおかしいのか、親子も俺も全然検討がつかない。
遠ざかる後ろ姿を見ていると、ペロッと手を舐められた。脇には売られたはずの一頭が俺を見上げていた。
「あれっ、お前、群れと一緒に行かなかったのか?」
もちろん返事をするはずもないが相変わらず俺の手を舐めているので、懐の岩塩を入れていた皮袋をひっくり返し口元に差し出すと、ペロペロと舐めきってしまった。
「さっ、これで終わり。群れに戻らないとはぐれちまうぞ」
なおも見上げてくるので耳の裏を掻いてやりながら身体を押したが、頑として動かない。
仕方ないので、「おい、お前。俺の役に立ってくれるか?」と話しかけると、初めて「ンモーッ」と返事をした。
更に掻きながら「それじゃ、覚えてるか、お前たちが乗せてきた子供たち?、俺と一緒に護ってくれるかい?」
眉辺りから鼻筋に沿った白い毛が特徴的な、ひときわ大きな羊はもう一度「ンモーッ」と鳴くと、トコトコと猊下の後を追っていく。
(へぇー、言ってみるもんだね)
猊下が二人の元に戻ると、三人と一頭はそのまま道を進み始めた。この先は小シマロンと大シマロン領の国境になっている、ロンガルバル川。
追っ手が来ないか気にしつつ、フリンがどんな情報を手に入れたのか、雑貨屋の主にそれとなく聞き出すと、曰く、戦争が始まるらしく大シマロンの国境警備が強化され、入出国がかなり制限され、みんな困っている、とのこと。確かに、この状況なら『川を下って』ってそのルートも間違いじゃないが、それは同じ船に敵が乗っていないという前提のこと、もし乗っていれば逆に逃げ場はない。

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