・ 2 ・

午後一杯歩きづめで到着した俺たちは、低い柵で囲まれた円形の中に押し込まれた。
周囲を見物客が取り囲んでいるが、その雰囲気は息を殺しながら次に起こることへの期待と不安が漂い、闘技場のような熱気と興奮はなく、どこか異様な雰囲気だった。
更にその雰囲気に輪をかけたのが、等間隔に並んでいる僧衣の奴ら。(あれは……法術師たちだ。一体、小シマロンはここで何をしようってんだ)
日が暮れて風も出始め、半濡れの俺たちは少しでも風を避けるために互いの距離を縮めた。近づいてみると、猊下より体力があるはずの陛下の方が顔色も悪く、立っているのも辛そうで、後ろからそっと支えると身体を預けてきた。
(いつも、しっかり自分の足で立っている陛下なのに、衆目の中で人に寄り掛かるなんて、よほど具合が悪いのだろうか)
囚人と見物客のどよめきがする方を見ると、馬車と騎馬兵とグランツの若旦那に放り出された男が場内に入ってきた。フリンの呟きで名前が分かった、男の名はナイジェル・ワイズ・マキシーン。
自慢げに朗々と演説をぶち上げているが、その内容の白々しさより次第にずり下がる陛下の方が俺にとっては重要だった。が、奴が何を喋るのか聞き逃すわけにはいかない。
神経を陛下に、耳をマキシーンに向けていた俺は、『長年探索し続けていたものを、ついに小シマロン王サラレギー陛下がお手にされたのだ。──邪悪なる魔族を打ち倒す兵器である!』という言葉に寒気を感じた。(それが、猊下の言っていた『箱』なのか?)
「だが仕方ない」、猊下がぽつりと呟いた言葉は、無理矢理、息を整えようとしている陛下にしっかり届いたようだ。(そう、仕方ない。互いをよく知る者たちですら何かのはずみで仲違いすることもよくあること、まして口当たりのよい言葉で無知な者たちを騙そうとしている奴らになんの期待ができる。結局、この世界は、弱くては生き残れないんだ)
二人の会話はまさしく、経験少ない年若い王の決意を確かめる賢者のものだった。
続いて猊下の口から語られた『前にも一緒に旅をしたよね。』から始まった言葉が大いに陛下を動揺させた。内容はイマイチ俺にはよく分からないが、どうやら覚えているはずのない、生まれてくる前の話らしい。
その間にもマキシーンは喋りつづけ、(長~い演説は部下に嫌われるぜ、まったく!)聞き慣れない単語が耳を捕らえた、『地の果て』
その言葉が合図だったように、馬車から筒状のケースと小型の棺桶くらいの、汚らしい木箱が降ろされた。
それを聞いて当惑しているフリンに、陛下は『風の終わり』かと尋ねたが、答えたのは猊下で、『地の果て』、『風の終わり』、決して触れてはいけない4つの箱の内、2つが人間の手に落ちたらしい。
更に、フリンは両方の箱の鍵も大シマロンと小シマロンが持っていると言い、マキシーンはこの地で囚人たちを実験台に箱の威力を試そうとしている。
(くそっ、やっぱりあのとき、猊下の言うことを突っぱねて、引きずってでもお二人を連れて脱出するんだった)
いきり立った陛下は制止しようとする俺の手を振り切ると、悠然と構えたマキシーンに向って怒鳴り始めた……髪も瞳も隠さぬまま。フリンも抗議の声を上げたが、この状況下ではたとえ魔王と領主でも何の役にも立たない。
後方に控えていた兵士に合図したマキシーンは、兵士のそれを俺たちに見せつけるよう前へと呼び寄せた。兵士の持つそれは、ちょうど二の腕から肘から下くらいの長さ、妙な具合に曲がり、半分近く焼き爛れた、一見すると薪のように見え……、いや、薪じゃない、あれは……人の腕だ。
かかっていた体重がいきなり無くなり、俺の足元で悲鳴を上げ、陛下が地面を転げ回っている。急いで暴れる陛下を羽交い締めにするが、頭を抑え、足をバタつかせ、一向に収まる様子がない。何がどうなって陛下がこんなに苦しんでいるのか。分かるのは、ただ、陛下の苦しみを俺はどうすることもできないってことだけ、こうやって押さえていることしかなす術がなかった。
猊下は苦痛の元が分かっているらしく、「魔力はコントロールできる」と言ってなだめ、幾分か落ち着き始めた陛下はあの腕が隊長の、……コンラッドの物だと言った。
(俺は奴の剣士としての強さを知り尽くしている。こんな風にやられる奴じゃない!)
「見間違いじゃ……」と問う俺に、「おれが間違えるはずがない」という答えは、ショックだった。
更に、フリンの言葉が追い討ちをかける。『鍵』は人で、それもコンラッドで、ギュンター閣下は矢で射られ。(ああっ、本当に、国ではどうなってるんだ!?)
その間にも箱は開けられようとしている。
「大陸中、箱の影響でズタズタにされるぞっ!? 大陸中が混乱する、世界中に影響が出る!」、走り出した猊下は必死に止めるよう説得しているが、もちろんマキシーンには聞く耳などない。
猊下の焦る姿を初めて目にした俺は、逆に肝が座ったというか、冷静さを取り戻した。(大陸中がズタズタ……、いいだろう、この大陸がどうなろうと知ったことじゃない。眞魔国への影響がないか、少なけりゃそれでいい。俺はお二人を無事に眞魔国に連れて帰るだけだ!)
陛下を抱えたまま、警備の弱そうなところ、兵の少なそうなところを捜し始め、その間にマキシーンは箱の中に腕が納めて蓋が閉じたが、何も起こらない。(猊下の杞憂だったのでは?、それとも鍵が違うからか、何も起きないじゃないか)
だが、猊下はへたり込んだフリンと俺たちに「地盤の堅いところに行け」と言う。周りを見回したが、荒涼たる平地でどこが堅いのかなんて分からない。その内、こもった低い地響きがどこからか聞こえ出し、いきなり揺れ出した大地に人々の悲鳴と怒号が辺りに響き、地面はひび割れ、隆起と陥没が始まった。
「陛下、放しても大丈夫ですか?」
「ああ、早く皆で逃げるんだ!」
(だが、どっちに行きゃあいいんだ)、ふと見ると少し離れたところでTぞうが「ンモーッ」と鳴き声を上げている。どうせ分からないなら、動物の勘を信じるまで。
陛下にTぞうの後を行くように促し、猊下とフリンにも声をかけ、裂け目を飛び越しながら比較的動きの少ない一角へとたどり着いた。
連れてこられた囚人も、見物客も、兵も、法術師も、四方八方に逃げ回っている。さっきまで大丈夫だった場所でも一歩遅ければ、次々と裂ける地面に飲み込まれていく。
(前に地の魔力を見たことはある。だがこれは……桁違いだ。この大陸だけじゃ済まないかも。創主って奴の力を、……侮っちゃいけない)
陛下はやっと俺たちに追いついた猊下に詰め寄ったが、「やり過ごすしかない」との返答は到底受け入れられるものではなかった。その内、目の端からフリンが消え、彼女を追おうとした陛下の肩を掴み、「陛下は駄目だ」と引き止めた。視線の先、取り残された子供たちの元にフリンがいた。
「なんでだよっ!」、「だから俺がちゃんとやってきますから」、そう押し留めるといくつもの地割れを飛び越して子供たちのところに行き、背中と両脇に一人ずつ、フリンは二人の子たちと手を繋ぎ、歩き始めた直後、大きな揺れが来た。
瞬時に踏ん張り、なんとかやり過ごして陛下たちの方を見やると、駆け出そうとする足を必死に留めている陛下がいた。(まさか?)後ろを振り返るとついてきていたはずのフリンと二人の子供たちが地割れに飲み込まれようとしていた。
(猊下、陛下を留めておいてください、来させちゃダメだ!)、これは『究極の選択』って訳じゃない。もし陛下がこちらに来ようとするなら、たとえ後でどんな叱責があったとしても、俺はこの子供たちの手を放して陛下を止める。命の価値は誰もが同じ……ではないのだ。グッと歯を食いしばって視線を前に戻すと一気に二人の元へと走った。
あと少しというところで、再び大きな揺れがその場の全員に襲いかかった。
ギリギリで避けた新たな地割れの底から水が湧き出し、落ちた人々はその穏やかな流れに乗って遠ざかっていく。フリンたちは向こう岸にたどり着いたようだ。
(今までなかったのに、急になぜ?、まさか、陛下?)、視線を前に戻すと、今までに見たの魔力の放出とはまるで違う、何かを無心に祈るような陛下と、それを支えるかのような猊下がいた。
とにかく二人の元へと歩き出した途端、最大の揺れが僅かな間に俺と陛下たちの間に広い峡谷を作り上げ、振動が弱まると、崖縁にしっかりとぶら下がった陛下の姿が見えた。(猊下は……どこだ!?)
「陛下ーっ!、ぼーっちゃーん!」、陛下が頭を回し、こちらを見た。
「大丈夫ですかっ?、俺が行くまで我慢してくださいよっ!」
「分かったぁ!、それより、村田がそっちの崖にへばりついてるっ!」
言われて谷を覗き込むと、岩の先に指先が引っかかっている。
「猊下っ!」、俺の呼びかけに、「ここだよっ!」、やっとの返答。
足場を確かめながら岩まで降り、辛うじて張り付いている猊下の身体を肩で押し上げながら崖を昇らせ、最後は俺が先に昇って猊下を引き上げた。
「渋谷は?、早く渋谷のところへ!」もどかしそうに俺の服を握った手は傷だらけで血が滲み、血の気を失った顔に印象深い、大きく見開いた黒い瞳。
そう言いながらも、俺をいつまでも離さない。赤ん坊の手を開くように指を一本ずつ外していく。
「大丈夫、陛下はちゃんと掴まってますから、落ち着いて。今、俺が向こうに渡って引き上げますから。子供たちとここにいてください。いいですね」
「分かったから、早くっ!」
直線でおよそ20m、いくらなんでも飛び越せる距離じゃない。「今すぐそっちに渡りますから」と言いながら幅の狭いところへと駆け出す。
走る俺の耳には「俺のことは自分でなんとかするから、村田とフリンを……」と、陛下の絞り出すような声が聞こえる。(なんとかできる訳ないでしょ!)
「陛下を残していくなんてことできませんよ!、そりゃもちろん、猊下も大切ですよ!?、でもねぇっ!」
振り返る度、指や腕を動かし、必死にぶら下がっている陛下の姿を見ながら、(早く、飛び越せるところを見つけないと)、焦ることしかできなかった。
やっと飛べそうなところを見つけた俺の背中で、「渋谷っ!」、猊下の悲痛な声が響いた。
(最悪だ……、俺がついていながら……)、悔恨で足を止め、最悪の状況であろう向こう側の崖に目をやった。
落ちようとしていた陛下の腕を、金髪の少年が掴んでいた。
ゆっくりと引き上げられていく姿に見つつ、幅の狭まったところを飛び越し、陛下と少年の元へと急いだ。
「愚かなのはコンラートの方だ」、微かに聞こえた声と言葉に足を遅めた。(……三男閣下?)
更に向こうの方から男が駆けつけると、三男閣下に「南端のカロリア近辺から発生したらしいこの異変は、大陸を縦断し、ギルビット港を壊滅状態にしたらしい」と状況報告している。
光を反射するその特徴的な頭。(ありゃあ、ギャンター閣下の何でも屋。援護がこの二人って、……どうなってるんだ?)
「グリエ! お前もいたのか」
「はい、お久しぶりです。ヴォルフラム閣下」
三男閣下の言葉で振り向いた陛下の「ヨザック、村田とフリンは?」に、指差しながら「無事、向こう側にします」と伝えると、心からホッとした表情を見せた。
「そいつらが誰かは知らないが、それは良かった。そちら側にはギーゼラがいる。さぁ、行くぞ、ユーリ」と、三男閣下は勢いよく立ち上がった。
つられて立ち上がった陛下は、「待った、ヴォルフ。その前にアレを、箱をなんとかしなきゃ!」、先を急ごうとしていた三男閣下を引き止めた。
「箱?」
「そうだよ! ほら、『触れちゃいけない』って、あの箱」
「まさか……、禁忌の箱か?、これは、その、箱を開けたのか!?」
「ああ、その『まさか』だ……」
「なんて馬鹿なことを!」
「閣下はご存知なんで?」
「眞王陛下と共に闘い、建国に携わった家には伝わっているからな。それに最近、大シマロンが手に入れたとの情報が入っている」
「とにかく、『地の果て』をここに置いていく訳にはいかない!、それに、あの中には……」
「中?、中に何があるのだ?」
「……腕だ、コンラッドの……」
「なんだと!?、では、コンラートの腕が鍵なのか?」
「いや、……そう。だけど『地の果て』のじゃない、『風の終わり』のだ。それに大シマロンにあるのは『風の終わり』だ。それもなんとかしなきゃ!」
「陛下、一度に両方は無理ですよ」
「分かってる。まずは『地の果て』を眞魔国に持って帰る」
「かしこまりました」、「分かった」

夜の帳が降りる中、少しでも足元が見える内にここから退去すべく、陛下たちを先導して先ほどのルートを逆に辿り、猊下たちと合流してギーゼラ閣下の元へと向った。
ダカスコスとTぞうが意気揚々と道案内する後を、陛下と閣下、その後がフリン、そして猊下、最後に俺。
前方にギーゼラ閣下の焚き火が見え始めた頃、俺を待つように立ち止まっていた猊下が並んで歩き出した。
「ねえ、ヨザック。僕はまだ、渋谷の前では『村田』で通したいんだけど」
「まだ言わないんですか?、陛下も薄々、変だって思ってますよ?」
「分かってる。でも、まだ早い」
「どうして?言ったからって、どうってことないでしょ」
「それがあるんだよ。渋谷にとって僕という存在は……諸刃の剣なんだ」
「猊下が?」、思わず顔を覗き込んだ。
「だから、……時期を選びたい」、そう言って笑顔を見せたが、俺に言わせりゃ『なってねぇ顔!』だ。でも、彼がそう言うなら仕方がない。
「そうですか。それじゃ、そういうことでいきましょう。えーと、ムラッタァ」、陛下の言い方を思い出しながら改めて猊下の名前を呼んでみた。
(そう言えば、Murataという発音はMutterに近いな……)
呼ばれた猊下はクスクス笑いながら「君はまるで歌うように発音するね」、どこかくすぐったそうだ。
「変ですか?」
猊下はそっぽを向きながら「いいや、耳慣れないだけ。嫌いじゃないよ」と言ってくれた。
そう聞いて、なんとなく良かったと思ってる自分に気づいた。

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