数日前の眞魔国日報にはこの間行なわれた取材の記事が八面にわたって掲載されていた。(つまり、全面陛下と猊下で埋め尽くされていたわけだ)
内容はとても好意的でお二人が語られた言葉は意味を違えずに記載されており、まずまずの出来。但し、誰もが見たがるお二人の姿はどことなく輪郭がぼやけ、窓から入る日を背にした陰影の強すぎる仕上がりなのが残念だが、それでも猊下の思惑を知らない者たちなら満足のいくものだろう。
「なるほど、こうなったのか」と当日を思い出しながら家でのんびり眺めていた私は、夕方戻った城の雰囲気に冷や水を浴びせられた思いがした。

城下から城に近づくにつれて普段より警備の数が多くなり、通用門を通るときは下馬した上に数名に顔を改められるという、今まで体験したことのない警戒体制に不安を覚えた。
馬を預け、猊下の私室がある西棟に入ろうとしたときも、私の顔を知っているはずの警備が従者の証であるメダルの提示を求め、それは階段を上り最上階のフロアに達したときにも行なわれ、「何があったのですか?」と小声で確認した私に警備は「猊下が暴漢に襲われた」と短く答えた。

私物を持ったまま猊下の私室に駆け込むと、猊下は何事もないようにソファに座っていらしたが、その額には絆創膏が貼られていた。
「猊下、大丈夫でございますか!?」
「やあ、少尉。ちょっとぶつけて切っただけだよ」
「暴漢に襲われたと聞いたので、どんなお怪我をと──」
「まったくさぁ、みんな大げさなんだから」
「当然です!! あっ、いえ。他にお怪我はされていないのですね」
すっくと立ち上がった猊下は、腕や足を屈伸させ、ぐるっと回って見せると「ほら、ねっ。安心した?」
「ええ。それで……どこで襲われたのですか?」
ストンとソファに腰を落ち着け、「北棟の書庫」とだけ云うとテーブルの本に手を伸ばした。
「もちろんダカスコスか他の者をお連れになったんでしょうね。ここや東棟と違って元々人が少ない棟ですから」
「……」本に視線を落としたまま返事がない。
「猊下?まさか──」
やや早口で「書庫までは連れて行ったよ」それはいたずらを見つかった子供のようだ。
「中まで一緒では……なかったんですね。ああ、げーかぁ〜」
「あっ、その言い方。ヨザックの口癖が移ったね」
ニコリと笑顔を見せたが、それで引き下がるわけにはいかない。
「問題をすり替えようとしてもだめです。何の為に警護がついているかその理由をお忘れですか」
「係はいたし、他の人が入るようなところでもないし」
「それで、捕まったのですか?」
「うん。物音に気付いた警備が取り押さえて、フォンクライスト卿が直々取り調べもした」
本は閉じたが、相変わらず視線を合わせようとはしない。
「お命を──」
「脅かそうとしただけだって。実際、やったことは書棚の向こうから本を叩き落としただけ」
「理由はなんです?」
「まったく笑っちゃうよ、魔王陛下と並ぶのは不敬だから、身の程知らずに教えてやろうってさっ」何かを吹っ切るように言うと、やっと面を上げた。
「……眞魔国日報の念写ですか」
取材中、ソファの中心に陛下が、端に猊下がお座りだったが、記者から「念写のためにもう少しお近づきに」と云われて並んでお座りになっただけなのに。
「賊の正体は分かったのですか?」
「なんと……警備の一人。フォンクライスト卿はがっかりしてたよ」
「狂信者……ということですか」魔王陛下の人気が高いのは喜ばしいことだが、行き過ぎは諸刃の剣だ。
「そうらしい」
「陛下は?」
「始めは怒りまくってたけど、犯人の素性を聞いて落ち込んでた。警備の人選をやり直して強化するより、僕の安全を考えたらこっちに連れて来ないほうがいいとか言い出してるよ」
「猊下はどうなさるおつもりです?」
「僕は来るよ、渋谷がなんと言おうとね。やるべきことがあるんだ」
強い決意のぬばたまの瞳の中に、ほんの微かに悲しみが潜んでいる。このような瞳を以前、どこかで見た覚えがある。あれはいつ、どこで、……誰だっただろう。
「とにかく今は大丈夫だから、少尉もあんまりピリピリしないように。いいね」
「かしこまりました」グリエさんがいたらこんなことは起きなかっただろうし、この場の雰囲気も変えてくれるだろうに。いつ戻られるのだろう。

この事件の後、猊下はそれまで以上に自主的に行動を制限され、執務室や陛下の私室にお出かけになる他は自室に籠もることが多くなった。「慣れてるから平気だよ」とおっしゃっるが、それでなくとも陛下に比べて普段でも食が細いのにますます召し上がる量が少なくなり、このままでは健康を害するとフォンクライスト卿に進言して、陛下とご一緒の昼食やお茶は中庭や庭園でお取りいただくことにした。広い城内を歩くだけでも運動にはなるし、毎回場所を変えるので待ち伏せの可能性も少なくなる。従者は主を温室育ちにしてはいけないのだ。
高原で国の中北部にあたる王都は花がほころび始め、やっと春めいた暖かな季節となっていた。

遠巻きに警護の兵が見守る中、中庭でお茶を楽しんでいた陛下が「あっ!」と声を上げられた。何事かと空を見上げると鳩が一羽、城の上を旋回後、高度を下げて屋根の向こうに飛び去った。
「ヨザックかな?」
こちらにお帰りになってから何もおっしゃらなかったが、祭り前夜の子供のような声に、やはり猊下はグリエさんに側にいて欲しいのだ、と確信した。
「ねえ、グウェン。今回はどのあたりに行ってるんだ?」
「大シマロンだ。誰かが騒動を起こしたせいで、二世殿下を取り巻く状況が変わってきているのでな」
「うっ!でも、それじゃコン──」
「つなぎが取れればな」
「……ああ、そっか」
会話はそこで途切れ、お茶の時間も終わって執務室に戻る途中、伝令が紙片をフォンヴォルテール卿に手渡した。一読した卿はお二人に向かって「明後日辺り戻るそうだ」と告げた。その時の猊下は久々にとても明るい表情をされていた。けして、陽光の下だから、というわけではない。ここのところ執務が多かった陛下は天気を気にされていたが、夜中に降った雨はすっかり上がり、気持ちよい朝を迎えた。

今日は国軍選抜チームと城内警備隊チームのヤキュウの試合が行なわれる。陛下曰く『春の選抜』だそうだ。陛下も選手として参加したがったが、陛下が守るホームに体当たりでの突入はできないし、ボールの方向を誤ってぶつけでもしたらそれこそ大事になる、と説得され、本日は『あん・ぱいや』での参加となった。ちなみに猊下は『すこあらー』という記録係をされることになっている。

陛下の乗った紋章入りの馬車が到着すると観客席からは歓声と拍手が起こり、にこやかに手を振ってお降りになるとそれらは一層大きくなった。次に到着した馬車から猊下が姿を見せると、初めて見る猊下に戸惑った後、陛下と同じくらい歓迎の声が沸き起こり、お待ちになっていた陛下の元に猊下が進まれ、お二人が並ばれると更なる歓声に世界が揺れるほどの足踏みが加わった。

『ほーむべーす』に立たれた陛下が両チームに合図すると、『だっぐあうと』から飛び出してきた選手たちが向かい合って整列し、帽子を取って大きな声で「よろしくおねがいしま〜す!!」と云い合い、その後、国軍選抜チームは『ぐらうんど』のあちこちに散らばった。
『ばっくねっと』の貴賓席でノートを膝に広げた猊下は「いよいよだねぇ〜。本当に春の選抜って感じだっ」と喜んでらっしゃる。
「これはどういうルールなのですか?」
「あれっ?少尉は知らなかったんだ」
「『とれーにんぐ』と『きゃっちぼーる』は毎日見ていますが、試合は初めてでして」
「要は、正面の真ん中、ちょっと高いとこにいる、ほら、あの選手、ピッチャーがボールを投げて、四角い線の中で棒を持ってる選手、バッターがそれを打つんだ。で、飛んだボールより先に打った選手が、あそことあそこと、あそこにある白いマットを進んで、渋谷のいるホームに戻ってきたら点が入る。でも、その前にボールがマットのとこにいる選手に戻ってきたらアウト、打った選手はダッグアウトに戻る、っていう、とっても単純なルールさ」
「それで、陛下が被っているあの兜と、鎧にしては中途半端なものはなんですか?」
「ボールが顔に当たらないようにつけるマスクと体を守る為のプロテクターだよ。それにしても甲冑が現役だとああいう細工も見事だね」

説明を受けている間にも始めの『ばったー』が『だっぐあうと』に戻っている。三人ずつ相互に攻撃して9回で終わりというが、これなら一刻くらいで終わってしまうのだろう。それにしても陛下の「すとらいく」や「ぼーる」という生き生きとした声がよく聞こえる。
あっという間に三人が終わって今度は警備隊チームがボールを投げる……のだが、どうも座っている『きゃっちゃー』の取れないようなところにばかりボールが飛んでくる。
「猊下、打たないのに進んで行きますよ?」
「うん、あれはフォアボール。規定の範囲外を通るようなボールを4回投げるとピッチャーの戦意消失と見なされてバッターは自動的に進めるんだ」
「あっ!! 今度は走りました!!」
「あれは盗塁。ボールが空中にあるときは塁にいる者は走っていいんだよ。結構、やるね。こりゃ国軍チームは戦略士官をメンバーに入れてるよ、きっと」
「それでは警備隊チームに勝ち目はありませんね」
「仮のバッテリーだしね」
「仮、なんですか?」
「ホントならウェラー卿がピッチャー、渋谷がキャッチャー。渋谷が留守の時はヨザックなんだって。キャッチングから二塁を刺すスローイングは惚れ惚れするって言ってた」
浮き浮きと弾むような猊下の声を聞くのは久しぶりだ。「見たかったですね」と笑いかけると、「……そうだね」とどことなく照れくさそうにおっしゃった。

猊下を挟む形で向こう側に座るフォンビーレフェルト卿は腕を組み、ムスッとした顔で試合をご覧になっている。この試合に参加を希望されたが、両チームは丁重に辞退したそうだ。理由は陛下が審判をされているのと同じ。その内、貴族チームが2つできれば試合に参加できるだろう。果たして、そこまでして参加されたいかは不明だが。
その後も国軍チームの攻撃は続き、1回裏が終わると得点は0ー4。警備隊チームは猊下曰く『珍プレー特集ができるよ』で、試合が終わってみればほぼ一方的な試合運びで得点は3ー41、圧倒的な国軍選抜チームの勝利だった。

悔しがる警備隊チームに何事か言葉をかけた陛下は、「チーム編成を変えないと……、ピッチャーは……」とブツブツ独り言をいいながら『ぐらうんど』から出てくると装具を係に渡しながら、「なあ、村田。どう思う?」
「基礎体力はあるわけだから、後はチームとしての練習量。それとピッチャーの制球力……ってとこかな」
「なかなか集まれないんで、キャッチボールとトスバッティングばっかの練習じゃ勝てないよな。選手の時間割りを調整するのと、……城内に小さくていいから練習場作れないかなあ」
「城内ねぇ〜。使ってない館とか庭園とかぶっ壊す?」
「そりゃ、まずいでしょ」
「魔王なら自由にできるぞ。館や塔や、お前が使ってる魔王専用風呂だってそうだから」
「ああそうだけど……でもなぁ〜。まっ、他の方法を考えてみるよ」
立ち上がって名残惜しげに拍手する観客に向かって窓から乗り出すように手を振っている陛下を乗せた馬車は『ぐらうんど』を後にし、野花が咲き始めた道を城へと戻った。

道中、見えていた温泉保養施設は随分とでき上がってきたようだ。陛下のお生まれになったチキュウの施設を模したと聞いたが、建物全体は覆われ、わずかに三角の瓦屋根が見えただけで、どんなものかまったく想像できない。ただ、フォンクライスト卿はオープニングセレモニーを盛大に、と考えているようだ。

午前中の運動に、風呂に、昼食を取ったとなれば、午後に執務を入れてもはかどるはずもない、ということでめずらしく自由な時間を得た陛下は、さっそく猊下を交えて大敗した警備隊チームの練習方法と『るーるぶっく』の翻訳について議論を交わしていた。
「それは『サヨナラ』でいいだろ?」
「それは日本での言い方。正式にはだね──」

聞いていると、どうも午前中に猊下が説明してくださった『るーる』はかなり端折ったものだったようだ。飛び交う分からない単語はうまい具合にヴォルフラム閣下が質問してくださったのでかなり分かってきた、と思う。よく分からなくても楽しかったが『るーる』が分かればもっと楽しいだろうから、売り出されたら買い求めよう。そうすれば妻に説明ながら観戦できる。

少年たちの声は心地よく、書状の仕分けがことのほか進んだ。話は尽きないのか、促されて晩餐の間に移られるあいだも、
「外野って言うと目と肩なんだよ」
「投擲か〜。弓とか槍部隊出身者はどう?」
「ヨザック級の選手なんて贅沢は言わない。でも、……後2人くらい欲しいな」
「ユーリ。ずっと疑問に思っているのだが、今、話してるのは警備隊チームのことだな?」
「そうだよ?」
「グリエの所属は国軍だぞ。なのに、警備隊チーム所属でいいのか?」
「別に所属でチーム分けしてるわけじゃないから、いいんじゃね?」
「グリエは何といってるのだ?」
「えっ?、聞いてない」
「事実上、所属ごとに分れてるわけだから、う〜ん、形式上は『トレード』ってことになるね。で、代わりに人を出す?それとも金銭?」
「話をややっこしくするなよ、村田。まだ、そこまできちんとしなくたっていいじゃないか」
「曖昧にしておくと後から厄介なんだって。今のうちに想定しておかなくちゃ」
「軍で所属が変わるのは、本人が転属願いを出して本部に承諾されるか、上司同士が話をつけるかなんだが……、グリエは希望を出してないし、お前が申し込めば上司である兄上はヤキュウに興味がないからすんなり『とれーど』とやらは可能だな」
「やったね、渋谷。無償トレードでヨザックが獲得できるなんて、最高じゃないか!」
「待て、村田。明日には返ってくるんだから一応ヨザックに確認して、それからグウェンにも話を通しておかなきゃ」
「明日……か」
「お前が想定って……。なんだよ、急にテンション下げちゃって、どうかしたか?」
「いや、なんでもない」

『てんしょん』という言葉が意味するものを知らなくても、猊下の態度で一目瞭然だろう。高く舞い上がっていた鳥が急に地面に下り立って不器用に歩き出す、そんな感じ。近くにいるからこそ解る、喪に服す未亡人が身を隠すように被るベールをまとったような猊下の変化に違和感を覚えた。
夜、本も取らずベッドに入られた猊下は、外した眼鏡をサイドテーブルに置くとただ「お休み」と言って潜り込んでしまわれた。
明日、グリエさんにお会いになれば、きっと明るい猊下に戻られるだろう。またお二人の楽しい掛け合いが始まる……はずだ。そうあって欲しい。

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