思っていることを隠すのに慣れているから大丈夫……とは云っても隠す内容が違う。それに彼は勘が良い。うまく隠せるか自信がほんの少しなかったから、ヨザックがいないと聞いたときホッとした。でも、周囲は僕たちにはお構いなしに回り始めてたんだ。

いつものように背表紙を読みながらゆっくり歩いていた僕の足下に、棚の本が数冊、ドサッと音を立てて落ちてきた。
「『猊下』だと?」
本当に恐怖を感じたとき、とっさに声なんか出ない。息をするのさえ忘れ、視線を巡らすこともできない。
「図々しくも魔王陛下の脇に座るなど!!」
更に落とされた本が足に当たる。
「その上、混血を城内にのさばらせやがって!!」
力いっぱいなぎ払った本が上段から顔辺りになだれ落ち、初めて逃げようと足が動き始めた。本棚と本棚の間、細い通路を追いつめるように本が落ちてくる。
「大賢者様の名を騙る、この『人間』め!!」

所用から戻った係が聞きつけ、外に待たせていた警備兵たちが連行していく間も堂々と己の主張を繰り返す男。恐怖は去り、目の辺りを拭いて初めてそれが血であることに気付いた。
慌てる図書係をなだめ、医師を呼ぶように伝えてから残った兵に守られて自室に戻る間、湧き上がってきたのは改悟だ。
(そうか。意に染まないが、ここにいるためには『村田健』を抑えぎみに、『大賢者』的面をもう少し見せなければいけないなっ)
部屋に駆けつけてきた医師がひどく動揺しているのがおかしく感じるくらい、僕は落ち着いていた。

「ちょっと切っただけだから、バンドエ……ってないか。とにかくしばらく抑えておけば血は止まるって」
「いいえ!! ご尊顔に傷など残ってはいけません、きちんと包帯でお止めしないと!!」
とにかく、メガネが掛けられるようにとリクエストとした結果、2cmくらいの切り傷に眉はもちろん額の半分を覆い隠す程の布を当て、軽く包帯で止めるという妥協点に達した。
治療もそろそろ終わろうかというころ、フォンビーレフェルト卿を連れた渋谷が飛び込んできた。

「村田っ、大丈夫か!!」
「やあ」
「やあ、じゃね〜よ!! って、まあ、大丈夫そうだな」
「うん、本の角でちょっと切っただけだよ。ところで、フォンビーレフェルト卿、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだ」
「あいにくまだ眞魔国の法律まで手を伸ばしてないんで分からないんだけど、あの男はどう裁かれる?」
「そうだな……城内警備兵だが、たぶん国軍軍法に則って裁かれるだろう」
「裁判は開かれるのかい?」
「サイバン?」
「あっ、え〜と、審問……かな」
「警備兵に対してか? そんなことはしないだろう。まあ、お前を上官と見るか、貴人と見るかは難しいところだが、どちらにしても国の重要人物を殺そうとしたんだ。死罪は当然だ」
「そうか。で、今あの男は?」
「西の塔に入れられているはずだ」
「渋谷、行こう!!」
「えっ、どこへって、おい、村田!!」

豊富すぎる知識を手繰らなくてもこういう場合、あの男がどうなるかなんて想像がつく。森の向こうにひっそりと建つ西の塔は、明るく賑やかな血盟城の暗部だろう。やたらと警備が目に付く道を走りすぎた僕たちは、先に来ていたフォンクライスト卿にやっと追いついた。
「猊下!! 大丈夫でございますか!! このような──」
「ハア、ハア、フォン……クライスト……卿、あの男は、彼は、ハア、ハア、生きてる……ね?」
「はい。ですが──」
「僕は、ハア、助命……嘆願に……する!!」
日ごろの鍛練の結果だろう、上がった息が元に戻ったのは僕が最後だった。
「被害者は僕だし、審問もなく処分するのは待ってもらおう」
「村田、どうしたんだよ!?」
「渋谷、彼を殺したらマズいんだよ」
「なんで、どうして?」
「いいかい、もし彼を処刑されたと聞いた仲間はどう考える? そんなことしたら狂信者を煽るようなもんだ」
「狂信者って、……なんの?」
僕の襲われた理由を誰も渋谷に報告しなかったようだ。視線で促すとフォンクライスト卿は言葉を詰まらせ、身を細めながら事の次第を告げた。
「なんで、どうしてぇ!! そんなバカな!!」
(まったく、君の云う通りだよ。でも、そういうことなんだ)
「彼がしたのは脅迫、ただの嫌がらせ、殺そうとしたわけじゃない。この傷だってたまたま僕が除け損ねただけだ」
「しかし、そういう行為自体が大罪です!!」
「日本の刑法じゃ脅迫罪は50万以下の罰金か2年以下の懲役だよ。渋谷、こんなことで血を流させたいかい?」
「それじゃどうしろって云うんだ」
そう云った渋谷は胃から苦いものが込み上げてきたような顔をしている。

「フォンクライスト卿。例えば使用人が主や主の家族を脅迫した場合、どんな風に裁かれる? それに罰はどんな感じ?」
「そうですね、役場での公開審問の後、広場におけるむち打ち、ところ払いが一般的でしょう。但し、これはあくまで臣民の場合です。兵の場合は審議官による審問の後、程度にも寄りますが、懲罰房収監、階級・給金を剥奪しての不名誉除隊、流刑、そして死罪」
「では、審問会の招集を要望する。但し、死罪はなしだ。いいね」
「俺も立ち会うからなっ。一言言ってやらなきゃ気が済まねえ!!」
「それはダメだ」
「おい、村田。それは、言っちゃいけないのか、その場にいちゃいけないのか、どっちだよ!!」
「両方。いいかい、ああいう連中は君が目の前にいるってだけで自分の主張が正しいと思い込むんだ。それに君が云うことだって自分の都合の良いようにしか解釈しない。例えば君が『村田は俺の親友だ』と云ったって、彼にとっちゃ『こんな私ののためにいらっしゃった上に、ご発言まで!! なんとありがたい!!』ってな具合にさ。狂信者っていうのはそういうものさ」

希望通り翌日には審問が開かれ、呼び集められた5名の審議官は僕の希望をくんで渋々ながら一番自然の厳しい北方の島に流刑を宣告し、刑はさっさと執行された。

別に僕としては死罪でも構わなかった。
渋谷は一時的に頭にきても断罪を下すはずはない。だが、その判断を周囲に『甘い』と思わせてはいけない。かと言って渋谷が減刑を口にすればそれもまた『甘い』と見られるだろう。だから、血は流さず、審問会が適度に重度な罰を与えたと思わせる必要があった。
それに、思想犯である彼を死罪にすれば狂信者にとって『殉死者』。我も我もと続くものが出てくる可能性がある。そんなことになったらたまったもんじゃない。一方、流刑の場合は『脅かすだけなら死罪にはならない』と考えるバカも……。ハァ〜、どっちにしても面倒この上ない。

それからは周囲に気を使う毎日。無駄な反感を買わぬよう、大賢者のイメージを重ね見るものには多少の喜びを与え。正直言えば、……疲れる。少尉はなんとか僕の気晴らしになるよう配慮してくれているが、こんなときヨザックがいてくれたら……と思うのは僕のわがままだ。

思いがけず届いたあの声。「へ〜かぁ!げ〜かぁ!」と呼びかける懐かしい声に高まる、胸の鼓動。
遠くからでもはっきり見えるオレンジの髪と、足下の水面に現われる水面の渦に引き裂かれる思い。

一瞬の躊躇の後、意を決して渋谷を引っ張って水の中に飛び込んだ。
巻き上がる水幕越しに滲むオレンジがだんだん大きくなる。
ヨザック、ヨザック、ヨザック!!
もう少し時間を。君を目の前にしても普通でいられるようになるまで、お願いだ、もう少し時間が欲しい。

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