夏の一月はあっと言う間に過ぎ去り、今月は陛下の誕生月。
どのようなお祝いにするか国の重鎮たちはおろか、市井の人々までが頭を寄せ合わせて検討し、準備に準備を重ね、いよいよ本番。国を挙げての催事がいよいよ始まる。

朝の仕事が一段落しお茶の一杯も飲もうかという時刻、城の正面玄関には紋章入りの馬車と兵士たちが準備を済ませ、今しも眞王廟に出発しようとしている。髪を後ろで束ね、記章をつけた国軍の軍服で現われたグリエさんは、前後を守る隊列を確認し、出ていらしたギュンター閣下とフォンビーレフェルト卿が馬車に乗り込むのを待って、「出立!!」と声を上げた。
二ヶ月ぶりに会ったグリエさんは「いやぁ〜、公式行事だし同盟国使節団も来るんだから、まともな格好しろって閣下に言われちまって。洗濯屋から出してきたら、キツいのなんのって。あっ、太ったわけじゃないですからね」
『なりきる』ことが必要な仕事のせいか、軍服姿のグリエさんはいつもの飄々とした感じが薄れ、『できる男』度が増すように思う。
(こうした姿を見ると、兄としては妹がなぜ心引かれないのか残念に思うのだが……)

眞王廟に着くと馬車とグリエさんと私だけが奥へと進み、廟の中心にある泉の縁でお二人の到着を待っていた。
「ねっ、少尉。話した通りでしょ?」
「本当ですね、これでは猊下が喜ぶのも無理はない」
前の閣下方に聞かれないようにコソッと囁きあうと、もう一度周りの情景に目をやった。

うら若き──実年齢はさておき──薄絹をまとった乙女たちがあちこちにおり、ここが男子禁制だからあの格好なのか、あの格好だから男子禁制なのかは分からないが、とにかく男がいる場ではないのは確かだ。その乙女たちの目は今は国一番の美形と輝くばかりの若さを見せる閣下に向けられているが、ここに陛下と猊下がお姿を見せれば……言うまでもない。

予定の時刻、水面に黒い円が現われ、そのまま建物の一階程の高さに盛り上がると崩れ始めた合間からお二人の姿が現われた。
泉の底に座られた陛下は「ただいま!!」と元気一杯の声。なぜかこのお声を聞くと破顔してしまう。一方、猊下は「うわぁ、やっぱり出迎えがかわいい女の子で一杯ってのは最高だね!!」と、これまた『らしい』お言葉に破顔する。そして、乙女たちは水に濡れた半袖半ズボンのお二人に小鳥のさえずりのごとき高い声を上げている。華やいだこの場に一番相応しくないのは、我先にタオルを手渡そうと競り合っているお二人の声だろう。毎回のことながら苦笑を禁じえない。

縁に足をかけた猊下に手を伸ばし、地に足を付けられるとタオルと交換にメガネを預かり、ふと振り返ると先ほどまで並んでいた待っていたグリエさんがまだ先程のところに立っている。まるで店先に飾られた品に見入っているような、憧れのまなざしで。

メガネを返しながら「お帰りなさいませ」と言う私に「ただいま、少尉」と返した猊下は、チラッとグリエさんを見ると「やあ」と心持ち抑え気味のに声をかけ、陛下と連れ立って建物へと歩き始めた。
これまでを思うと随分とあっさりしているな……と思いつつ後を追う私の後から聞こえてくる足音は遅れがちだ。

身支度を整えられたお二人はウルリーケ様のたっての願いでお茶をご一緒され、同席しているギュンター閣下はこの後の予定の遅れを気にし、フォンビーレフェルト卿は陛下とウルリーケ様が会話なさるたびにイライラと、猊下はそんな様子を見てニヤニヤ。まったくもって、変わりなし。
いや、そうでもない。隣を盗み見ると、どこかはぐらかされたような表情のグリエさんが壁際に控えている。そう言えば、先ほどから猊下はグリエさんの方を見ようともしていない。何か変な感じだが、さすがに言賜巫女であるウルリーケ様の前では親しげな振る舞いもできないのだろう。
やっとお茶から開放された正午前、眞王廟を出発した隊列は沿道の人々の歓声を受けながら王都に入り、既に式典が始まっていると勘違いするほど大きくなった歓声の中を血盟城に到着した。

昼食を済ますと、午後から夕食を挟んで夜まで式典の説明に費やされた。何しろ昨年は「地球じゃまだ16になってない!!」と陛下が主張なさったため公式行事はなく、それもあって今年の聖誕祭には皆、盛大に行なおうと延々20日間にもわたり、その内の5日については陛下のご予定が隙間なく組まれていた。
工程表をご覧になった陛下は「ゲッ!! これ、マジ? 普通、もうちょっと行事の間に余裕ってもんがあるんじゃね? ほら、予想外の事が起きたらヤバいじゃん!」と必死に訴えたが、「これでもかなり削ったのです!!」とギュンター閣下が涙ながらに訴えるとさすがにお諦めになったようだ。私は今日ほど自分がその立場にいないことを──もちろん、陛下には内緒だが──喜んだことはない。

猊下についてはこの間のこともあり、王都内でのパレードでは陛下の馬車には同乗されず、次に続く上王陛下とご一緒の馬車に、バルコニーで臣民代表からの祝辞にはご出席なさるがお言葉はなし。血盟城で行なわれる臣民代表との宴会および同盟国使節団とのレセプションにもご出席だが、やや席は離して後ろに控える形でと、一事が万事『極力、表には出ず』が合い言葉となっていた。

すまなそうに説明するギュンター閣下に対し、「そのくらいで良いんじゃない。僕は構わないよ」と猊下は気にする様子もない。むしろ不満そうにしているのは陛下の方だが、しかし、言葉にはされない。猊下が『表に出すぎる』と感じた輩に目を付けられる可能性が高くなることは十分にご承知なのだ。

ご帰国一日目が終わり、私室に戻った猊下はこれまでと同じように入浴後、本を携えてベッドにお入りになり、「ご苦労様、お休み」とだけ。
不慣れな私だからと思っていたが、グリエさんがいるにも関わらずやはりご自身で髪を乾かされるに至って、今日一日言葉少なかったグリエさんがついに口が開いた。
「明日、ヴォルテール港までグレタ姫を迎えに行くので、戻るのは明明後日です」
三人だからだろうか。普段、抑揚をつけた話し方をするグリエさんとは思えない平坦な言い方に、
「そう。少尉がいるから構わないよ」
猊下の方はそれほどでもないが、やはりいくらか堅めな言いようで、部屋を出入りしていた私が漏れ聞いた言葉だけでも違和感がある。

退出した私は「お茶でもいかがです?」とグリエさんに声をかけたが、「せっかくですが、明日の準備があるのでこれで」と廊下の反対側を目指して歩き去ってしまった。
確かに事前の打ち合わせでは、顔を見知ったものがお迎えしたほうがグレタ姫も安心だろうという話も出たが、結局、他のものがお迎えに出発している。なぜあんなことを……、やはりこれまでとは違う猊下の態度に失意を感じているのだろうか。

翌朝、グリエさんは姿を見せず、私は今までと同じように猊下をお起こしし、式典のリハーサルに付き添い、書類を整理し、「ご苦労様、お休み」と言われて自室に戻る日々を過ごした。

その日、陛下とフォンビーレフェルト卿は朝からソワソワされて、リハーサルも執務もどこか上の空。警備兵の「グレタ姫が到着されます」の言葉でお二人が駆け出し、猊下はのんびりと後について城の正面玄関へと向かった。

階段を下り、車寄せに待ちかまえたお二人の前に紋章入りの馬車が到着すると、同乗していた侍女がドアを開けて降り立って手を差し伸べたが、「お父様〜ぁ!!」と飛び降りたグレタ姫はそのまま手を広げていた陛下の胸に飛び込んだ。
黒と金と赤茶が絡み合いながら階段を上がってくるのをエントランスで眺めていた猊下は、「親子っていうにはちょっと無理があるみたいだけど、良い雰囲気だね」とにこやかにおっしゃるので、「陛下によくにてらっしゃいますね」と返すと、「んっ?」という顔をされた。
「ほら、いらっしゃると周りが一気に明るくなる」、シンニチの情報でしか知らなかったグレタ姫は女の子らしい、おしゃまで活発な可愛らしい姫だ。
「なるほど、本当にそうだね」
「おお〜い、村田。これが俺の娘のグレタ。グレタ、これが村田だよ」
「チキュウでお父様と一緒にいる人ね。初めまして、グレタです」
「こんにちは。村田健です、よろしくね。港から一人で寂しくなかった?」
「ううん、グリエちゃんが来てくれたから楽しかった。ねっ、グリエちゃん!」
振り返ったグレタ姫の視線の先、階段下には先程馬車から降りてきた侍女が控えていた。確か以前、猊下が……と見ると、女性に対してこう言っていいのかどうか、だが『たくましい』という表現を体現してるか……の……よう……な……と思いながら全身を眺めているとバチンとウインクされ、思わず「あっ!!」と声を上げてしまった。
「少尉、どうかした?」
「いえ、陛下、あの……」
「言っただろ、変幻自在だって」
「はい。でも、猊下、まさか本当に……」
「あれは『見せ物』とでも思えばいいぞ」
「はい?」
「ヴォルフ、違うよ!! 驚いたのは、グリエちゃんがきれいだからだよね♥」
「……はっ、はい、姫さまのおっしゃる……通りで」
再びグリエさん(ちゃん?)に目をやると、侍女らしくスカートを摘まんで軽く会釈し、まさにつつましき女性ごとき足取りで通用口へと歩み去り、唖然とその後ろ姿を見ている間に父親たちにまとわりつかれてはしゃぐ声が小さくなっていく。
遅れてはいけないと振り返ると、てっきり陛下がたとご一緒と思っていた猊下がグリエさんの姿を追っていた。
(私としたことが、なんたる間違いをしていたのだ!!)
けして思いを告げてはならない人をやるせなく見送る、あの瞳。
そうか、猊下は『好き』なのではなく、……愛してらっしゃるのだ。

密かに驚いている私は向けられた猊下のキツい視線に言葉が出ず、それでも何か言わなければと口だけ開くと──そう、あの瞳は『口出し無用』と語っている──猊下は、ふっと視線を外して無言で陛下がたの後を追っていく。

角々に立つ兵たちに軽く会釈しながら一人歩くその後ろ姿は『大賢者』らしい落ち着き払った姿に見えた。が、年相応かといえば、むしろ大人の中にいる子供として精一杯虚勢を張っているようにも見える。自分を他の誰かとして見られることは愉快なことではない。我々が無意識に『大賢者』と重ね見ることは、猊下にとってかなりの重荷なのだろうか。先入観を取り払ってみると、猊下が一番ご自身らしくいらっしゃるのは、陛下と、あるいは以前のようにグリエさんといるときだけ……のような気がする。

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