それまでの食事時や休憩時間は『陛下と猊下が楽しく語らい、フォンビーレフェルト卿が加われず不機嫌』だったが、グレタ姫がご帰国後は『グレタ姫を挟んで陛下とフォンビーレフェルト卿が楽しく語らい、それを──時々は会話に参加されるが──見守る猊下』という形になった。

夕方、大広間で行なわれていたレセプションのリハーサルを正面扉の脇に控えていた私の鼻に、昨年発売されて貴婦人がたが競って買い求めた高級化粧水の香りが届き、その後足音もなく平服に戻ったグリエさんが並んだ。
「お帰りなさい」
「ただいま。留守の間、何かありましたか?」
「いいえ、ただひたすらリハーサルばかりですよ。それにしても先ほどはびっくりしました」
クスクスと思い出し笑いをしながらそう告げると、「あっ、良い女っぷりだったでしょ」と自信満々な言葉に更に笑いが込み上げてくる。
「グレタ姫も『グリエちゃん』と呼んでましたね」
軍服姿にほのかな花の香り、不釣り合いに思わないのは相手がグリエさんだからだろう。つられたように「うふふっ、女の子同士だと秘密の話で盛り上がるんです」と再びウインク。やっといつものグリエさんに戻ったようだ。
「ここをお任せしてもいいですか、明日の準備を確認しに行きたいので」
「ついでに夕食も食べてきたらどうです?そしたら、皆さんが食事の時、俺が抜けますから」
「ではお言葉に甘えて、そうしましょう」

明日から式典が目白押し。庶務庁に出向いて日程や出席者や場所の変更がないか、お召しになる服や小物がきちんと私室に届けられているかなどを確認するといつものように食堂で食事を済ませ、ディナールームに向かう途中でとある貴族に呼び止められた。
「パルヴィアイネン殿、少し良いかな」
猊下の人となりを遠回しに訊ねてきた一人だ。
「国を挙げての式典で忙しいでしょうな」
「ええ。なにしろ私にとっては初めてのことばかりで」
「ところで、なぜいるのかな……首になったと聞いたのだが」
「私が、ですか?」
「いや。我々貴族に対して礼儀をわきまえない、猊下にまとわりつく……あの混血」
(グリエさんのことか!?)
「高貴な方のお側にあのようなものがいるとは、……目障りだとは思われないか?」
憤慨が面に現われないよう気をつけつつ、「お側仕えについては猊下たってのご希望と伺っております」
「それはまだ我が国に不慣れだったからで、今は貴族のあなたがいるのだし、もうあの男は不要でしょう」
したり顔で暗に私から猊下に進言しろと言ってくるこの男にはっきり『否』と云いたいところを我慢し、「私は猊下により良くこの国を知っていただくには、広くさまざまな方にお会いになるのが一番と思っております。あの、お話がお済みでしたら、私は猊下のお側に戻りたいのですが」
「……では、戻られるが良い」

やや気分を害したように立ち去る男が廊下を曲がって見えなくなるとため息が出た。(頭の堅い年寄りが云うならまだ分かるが、年若いのになんと視野の狭い……)
「手紙をありがとう。あのグリエ・ヨザックが同僚か、そいつはうらやましい。昔、競技会で奴を見て引き抜きたかったんだが、参謀たちが難色を示してなぁ。説得してる間に北軍に先を越されてしまったんだ。その後はヴォルテール軍、そしてアルノルドから戻ってきた。まったく、軍に必要なのは優秀な人材であって貴族の血なんて関係ないんだが、そういうやつらに限って指揮もまともに出来ないうちに士官になるんだ」
式典に参加するため、久々に王都を訪れた元将軍はそう云っていた。実績ある将軍がはるか昔のことなのにいまだに悔しがっていたほどの秀でた人物だと伝えたら、あの若造はどんな顔をするだろう。だが、この国にまだこういう人物がいることも事実。あのような思想の持ち主は直接的な力の行使はしない分、時間をかけてネチネチと絡んでくるから厄介だ。
私はいままで猊下の身辺だけを注意していたが、グリエさんに向けられた悪意にも注意を払わなければ。それが……猊下のためでもある。
決意を新たにすると、ディナールームの扉を開けた。

晴れた空には鳩が舞い、いつまでも記憶に残るだろう、美しい日だ。
式典は、午後の日差しに装飾も眩しい、飾り立てた儀典兵を引き連れたパレードが出発すると王都は興奮と熱狂に溢れ、歓声が青空にこだました。一方、城では次の準備に慌ただしく、「パレードでは大勢の兵がお守りするので、少尉は城で次の行事の準備をお願いします」そう云われた私には実際にはすることがなく、ポツンと窓から王都の様子を眺めていた。
グリエさんはパレードに参加したギュンター閣下とフォンヴォルテール卿から留守を託され、王都と城の警護を指揮し、姿が見えない。

昨夜、入れ違いに食堂に向かいかけたグリエさんはさりげなくドア越しに室内に目をやってから退出した。ドアを閉めて振り返ると横顔ながらこちらに向けた猊下の緊張した目と合い、一瞬の間を置いて「お帰り。今日のメニューはなんだった?」と声をかけられた。
もちろん本当に知りたかったわけではなく、ただ見られてしまったことを隠すかのように、話を変えたかっただけだと思う。
そんな風に日程は慌ただしく着々と進み、猊下とグリエさんが一緒にいるところを見たのは予定された行事がすべて終わり、緊張感の解けた6日後の午後。

その日は城全体が休日。一日はゆっくりと始まり、特に行事も執務もなく、陛下とフォンビーレフェルト卿はグレタ姫と花々が咲き誇る奥庭で夏の午後を楽しまれ、猊下は東屋でお三人の声に耳を傾けながら私が持っていく本を待っていらした。
行きがけに預かったティーセットと私室から取ってきた本を持って奥庭の入り口にさしかかると、別の入り口から東屋に向かう正装姿のグリエさんを見つけた。
使節団を港でお見送りした後、こちらに直行したのだろう。強い夏の日差しを受けて燃えるようなオレンジの髪に群青色の肩章がついた白い正装と帯剣が輝いて見えた。

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