つれない。
そう、気負った自分が馬鹿馬鹿しく思うほど、まさに『つれない』態度の猊下に拍子抜けし、その後は行事に追われて側に行くどころか遠くから見かけるのがやっと。一生懸命、あるはずないと思い込もうとしている『否』と云われる可能性が大きくなってくる。誰かに想いを告げたのは、いったいどのくらい前だっただろう。
叶えられるのはもちろん、舞い上がるほどうれしい。怒鳴られたり、笑われたり、断わられるにもなにがしかの反応があるならまだ良い。一番堪えるのは、まるで目の前の俺が存在しないかのような無視だ。
自分の言葉で一つで、生き生きとした表情を見せる愛らしい人が一瞬にして表情のない瞳に変わるのくらい空しいものはない。猊下もそんな表情を見せるのだろうか。そうした後も、彼をすっぱり諦めて、これまで通り何事もなかったように側にいられるだろうか。
悶々とした想いは忙しい日常で紛らわそうにもふと気を許すと膨れ上がり、抑えることが難しい。自分で自分を痛める、これはある種の、そして一番キツい拷問だ。自分では打開できないこの状況から逃れる方法は、たった一つ。
猊下、この想いから……俺を解放してくれ。

*****

声もかけず静かに歩み寄るその様子はまさに獲物に近寄る獣のようにも見える。が、そこに殺気は感じられない。むしろ、人見知りする幼子に「大丈夫、怖くないよ」と言いながらそっと手を伸ばすような、そんな感じがする。
今までとは異なるその雰囲気にかつての自分を当てはめ、わざと忘れ物をしたかのように立ち止まり、トレイの上で何かを探すように手を動かしながら視線の端で東屋を見つめた。

東屋に足を踏み入れたグリエさんと猊下に言葉を交わしている様子はなく、ベンチに腰掛けた猊下の視線の先には戯れるお三人。
普段より明らかに近い距離に立つ長身がその背を折り、猊下の手を取って自らの胸に当て、手に手を重ねたまま耳元でなにかを囁いたようだ。
その情景から思い出されたのは、ゾーヤに結婚を申し込んたときのこと。手を取ってその甲に接吻し、瞳を見ながら『一生を共に』と告げ、ゾーヤは満面の笑みで答えてくれた。
一生に二度とない、最高の笑顔だった。
私は息を止め、猊下の光り輝く最高の笑顔が見られる、そう思っていた。

やがて、グリエさんに顔を向けた猊下はそのまま立ち上がり、胸に押し付けられた手を払うでもなく、歩みに応じてゆっくりと離れていく。名残惜しげに見えたのは、猊下のグリエさんに対するお気持ちを知ってしまったからだろうか
石畳の上で立ち止まっていた私のところまでいらした猊下は、やや擦れた声で「ありがとう。でも、……本は部屋で読むよ」と足早に城へと戻って行かれた。淡々としたその表情と言葉に猊下を追いかけながら思っていたのは(どうして?どうして?……どうして!?)と疑問ばかり。
振り返ると、東屋の中には、猊下の手が無くなった後もその胸に置かれているかのように手をやったままのグリエさんの目が猊下を追っていた。

ノックと同時にドアを開けると、部屋の真ん中で背中を見せている猊下はこちらも見ずに「悪いけど、ちょっと昼寝するから」と暗に退出を求められた。
「猊下、ですが──」
「少尉!!」
初めて聞く荒げた声に、私は猊下の望むまま……部屋を辞した。

夜、夕食のお迎えに行くと、猊下の部屋の前、先程の格好のまま壁に背を預けたグリエさんを見つけた。
「……入らないのですか?」と聞いた私に唇だけで笑ったグリエさんは「ええ」とだけ返してきた。
「そうですか」
動きそうにないグリエさんを残して猊下の私室に入り、閉じた寝室のドア越しに食事の時間を告げたが、しばらく無言の後「自室で」が私の耳に届いた。
「では、持って参りますので、少々お待ちください」にはなんの返事もなかった。

廊下に出ると、尋ねるような目で私を見るグリエさんに「お部屋でお召し上がりになるそうです。陛下がたにお伝えしてお食事を用意する間、ここにいていただけますね?」と念押しすると、やはり「ええ」とだけ。
主が密かな想いを寄せ、自分も好意を持つその男が、情けないと自覚しながら抜け出すことのできない感情という迷路でもがくさまはじれったくもあり、辛くも感じる。お互いの立場を乗り越える何かが見つからなければ膨らんだ蕾のまま咲かず実らず朽ちていくか、あるいは心の奥底に凍らせたまま離れて行くかもしれない。何か助力できないかと考えても、こればかりはどうしようもない。
ともかく、あの場で猊下が返事らしき言葉も態度も示されたようには見えなかった。だから、行動されたグリエさんに対して、後は猊下がどう返事されるかだ。
一生を共にと考えられる相手に出会うのに早いも遅いもない。お心に反してご自分を抑えなければ良いが……。

*****

山々に守られた鏡面のごとき湖面にさざ波を起こす春風のように、傍らに立つ気配は僕の心を騒めかせる。周囲を映すだけだったそこに浮かび上がってくるのは喜び、驚き、哀憐、畏怖……。感情を示す言葉は数限りなく、その入り交じったすべてが呼び起こされ、僕のとっての『彼』という存在がいかに大きいかを再認する。

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