翌朝は、いつもの時間に屋敷を出ると市場調査を兼ねた市場巡りに時間をかけ、昼前に事務所に着くと自分の部屋でここ数日手につかなかった仕事に精を出した。
例え合格せずとも──双黒の『猊下』に拝謁してお言葉をかけていただいた──とても貴重な体験ができた、そう思うことにした。
営業時間を終えた後も残って仕事をし、夕食に間に合うようにギリギリで帰宅すると、前回ほどではないが家族が緊張しながら私を待っていた。
「ただいま。……えーと、どうかしましたか」
「書状が……届いたんだ。お前宛に、血盟城から」
直ぐに頭に浮かんだのは『本日の結果は合格者にだけ』、……まさか、私が?
父が差し出した封筒と妻が差し出したペーパーナイフを受け取ると、玄関ホールにも関わらずその場で開けた。
「オスカー・ラウリ・パルヴィアイネン殿
眞魔国庶務庁は先日の面接において貴殿を村田健猊下の正式な護衛とすることに決定いたしました。
ついては、任務の詳細についてご説明いたしますので、明日ご登城されますよう、ご連絡いたします。」
本文はペンの運びが違うのでおそらく秘書官が書いたのだろう。サインは前回と同じく閣下の自筆で、その下に小さく「おめでとう」と追記してあった。
「父上、どうやら仕事を……誰かに引き継いでもらわないと」
周囲からは歓喜というよりは安堵という感が漂っていた。私と同じようにここ数日気が気でなかったのだ。
「さて……、それでは夕食にするか」
家長の宣言で私たちはディナールームへと移動したが、食卓には新しい仕事に関する話題は上らなかった。
灯りをしぼってベッドに入ってきた妻に、言うともなしに「できるだろうか」と呟いた。
「まあ、交渉ごとで負けたことがないと豪語していたのに、……随分と弱気なこと」
「でも、これは商売じゃないんだよ。まして相手は……」
「人……でしょ。魔族であれ人間であれ、言葉が通じるならなんとかなるんじゃない?」
「常々思っていたんだがね、我が家で一番剛胆なのはお前だと思うよ」
「あらっ、お褒めの言葉、ありがとうございます」
そう言いながらキスを寄越すと、私の腕に妻の髪と頭の重みがかかった。
 目を閉じると、きちんと椅子に座った『猊下』とニヤッと笑ったあの男の顔を浮かんだ。
(どうなるか……など、考えてみても始まらない。ただ、やってみるだけだ。)

*****

昼食後、双黒の二人が廊下をのんびりと歩いていく。
「護衛の人、決まったんだって?」
「うん、なかなか面白そうな人だよ」
「で、いつから来んの?」
「明日、説明を受けにくるから声をかけるよ」
「おう、サンキュ」
「なあ、渋谷。君、執務をサボれるって思ってるだろ」
「えへへっ、まあな。ところでさっ、村田がギュンターの講義、受ける必要あんの?」
「前にも言ったけど、大賢者以降のこの世界がどうなったかは知らないんだぜ。現在の眞魔国を理解するためには歴史的背景って重要なんだぞ。とにかく、できるだけ寝るなよ。君が寝ると僕がフォンクライスト卿の面倒を見なきゃいけないんだからなっ」
「はっ、鋭意努力いたします。さてっと……、ギュンター、お待たせぇ~」
扉の閉まる、重量感のある音が廊下に響いた。

*****

前回と同じように東門から入った私は城の東棟、三階へと案内された。
「パルヴィアイネン様をお連れしました」
案内係が室内に声をかけると「はぁ~い」としゃがれた声が聞こえ、ドアが開いた。
室内に足を踏み入れた私に「ようこそ」と愛想良く笑いかけたのは、この間のあの男だった。
「どうぞ、あちらにおかけください」
『猊下』がお座りになっているソファに向かい合う、王佐閣下がお座りの椅子の隣、手前側の空いている椅子を示した。
会釈の後、腰を降ろすとあの男が「どうぞ」と良い香りのするティーカップを前に置いた。
(この匂いはティカル産の最上級茶葉、一杯分でおよそ銀貨一枚、庶民なら家族およそ四日分の食費。それにこのティーカップは……いかん、値踏みしている場合じゃない)
「緊張されてるようですね。まずはお茶を飲まれてはいかがですか」
「はっ、ありがとうございます」
『五月の風』と称される今年初摘みのゴールデンリーフ、オレンジがかった軽くて爽やかな味と芳香が口の中に広がる。お湯が熱すぎたり、すこしでも茶葉を遅く引き上げればこの色と味は出ない。実に絶妙のタイミングで入れてあり──まさか、あの男がこれを?──役割を終えた男はこの間と同じようにドアの脇に控えてた。
「フォンクライスト卿、そろそろ話されてはいかかですか」
「はい、猊下。それでは任務についてお話しましょう」
「お願いいたします」
「それでは。猊下は現在シブヤユーリ陛下と共にチキュウという異世界にお住まいで、眞魔国には今後一~二ヶ月に一度、お帰りになる予定です。あなたの役目は猊下の身の回りをお世話し、警護することです。……但し、あそこにいるグリエが不在のときは、ですが」
「えっ!?」振り返ると、再び男は邪気のない笑顔を見せた。
「ヨザックは売れっ子でね、なかなかフォンヴォルテール卿が手放してくれないんだ」
フォンクライスト卿、フォンヴォルテール卿、いずれも敬称で呼んでいる猊下が、楽しそうにあの男の『名前』を呼んだ。
「勤務中は城内に住んでいただきます。必要なものはすべてこちらで用意しますので、この後部屋を見てから不足があれば係の者に申告してください。給金は一日につき銀貨二枚、休暇は五日につき一日。ご家族を呼ばれる時は申請が必要です。
と、まあこんな感じですが、お分かりいただけましたか。」
「はい、充分に」待遇は軍隊時代より明らかに良い。
「それではご説明はここまでとしましょう。今日はこの後、係の者に城内や宿舎などを案内させます。その後、グリエと仕事内容の打ち合わせをしてください。勤務は明日からということで良いですね」
そう言うと閣下は立ち上がった。
「あ~、閣下。案内なら俺がします。道々話した方が早いでしょ」
「それもそうですね」
「それじゃ、僕も一緒に行くよ」
「はい? この後は陛下とご一緒に講義を受けられるのでは?」
続いて立ち上がり、ドアへと歩き出した猊下をフォンクライスト卿が唖然とした顔で見ている。
「僕なら大丈夫。一回くらい講義を聞かなくったって、どうってことないよ。さっ、ヨザック、少尉、行こう」
(『少尉』とは、私のことか?)、グリエ殿がドアを開けると、今しもドアを開けようとして「えっ!?」という表情の少年が立っていた。
黒目、黒髪、貴色の黒い服を纏った(魔王陛下だ!!)。慌てて片膝を付き、恭順の姿勢をとった私の頭上を、国のトップとNo.2の少年たち、それに重臣と護衛の気楽な会話が行き交っている。
「呼ばれたから来たんだけど……、村田、どっか行くの?」
「遅いよ、渋谷!! 話が早く済んじゃったから、これから城内を少尉に案内するんだ」
「いいなぁ~。おれも行っちゃダメ?」
「ユーリ!! お前は僕といるよりこいつらと一緒の方がいいのかぁ!!」(んっ、誰だ?)
「坊ちゃん、今日はサボっちゃダメですよ。昨日ちゃんと城内見学したじゃないですか」(ぼっちゃん!?、それは陛下のことか?、陛下のことを『坊ちゃん』と呼ぶのか!?)
「それを言うなら村田だって同じじゃないか!! それから、ヴォルフ。おれはそんなこと言ってない!!」
「そうそう、別に渋谷はそんなこと言ってない。ただ、君を『煩い』と思ってるかもしれないけど。それに渋谷。君と僕とじゃ立場が違うと思うよ?」
「何を!!、ユーリ!! お前は僕のことをそんな風に思っていたのか!!」
「ウグッ……村田……ヴォルフを……からかうのは……止めろ!!……くっ、苦しい……」(伏した視線の先で陛下の足元がドタバタと……首を締めてる?)
「三男閣下、その辺でお止めになったほうが。陛下が本当に苦しそうです」
「そうです、ヴォルフ、お止めなさい!! 大丈夫でございますか、陛下」
「うっ、頭がクラクラする」
「陛下には(グスン)、私の講義より(グスン)、城内見物の方が(グスン)、重要なのでしょうか?(ヨヨヨッ)」
「あああっ、そんなことないよ、ギュンター。たださぁ~、勉強より歩き回ってる方があってるというか……、あっ、そこにいる人がそうなの? そんな堅苦しいことしないで立ってよ」
顔を上げると、幾分顔が赤く、襟元を押さえながらニコニコと笑っている──お可愛らしい、と言ったら不敬だろうか──魔王陛下の顔が目に入った。
「陛下にご拝謁を賜り、誠に光栄に存じます。オスカー・ラウリ・パルヴィアイネンでございます」
「えっと、初めまして、渋谷有利です。オスカー・ラ……・パ……、すいません、お名前をもう一度」
「オスカー・ラウリ・パルヴィアイネン、でございます」
「オスカー・ラ……ウリ・パルヴィ、ウグッ、舌噛んだ」
グリエ殿が笑いながら「立った方がいいですよ」と耳打ちし、私はおずおずと立ち上がった。
「あの、陛下、……大丈夫でございますか」
「れんれん、へいぎ」
黒く大きな瞳にうっすらと涙を浮かべ、口元を押さえた陛下は『一国の王』『我が主』というより、やはり『お可愛らしい』としか思えない。
「あなたの名字は僕らには結構難しい発音だし、『さん』付けで呼ぶと長いから、僕たちは『少尉』って呼ぶことにしたんだ。構わないよね」
私に同意を求めた猊下は、こうして陛下といらっしゃると面接の際のあの落ち着きが嘘に思えるほど歳相応に見えた。
「はぁ、そういうことでしたら、どうぞそのようにお呼びください」
「僕たちって?」
「もちろん、僕とヨザックだよ。他にいる?」
「できればおれもその呼び方の方がいいなっ」
「陛下、どのようにお呼びいただいても私は一向に構いません」
私は苦笑を押さえられなかった。
「さぁ、もういいだろう。渋谷は勉強、僕たちはオリエンティーションに出発するよ」
陛下の「おい、村田ぁ~」という声をあっさり振り払って歩き出した猊下の背中を唖然としながら見ていた私に、「さっ、少尉、行きましょ」とグリエ殿が声をかけてきた。
促されて歩き出した私はそれでも気になって後ろを振り返りながら、「良いのでしょうか、陛下が……」と言うと、グリエ殿はまるでいつものことといった風に「いいの、いいの。坊ちゃんはじっとしてるのが苦手なだけなんです」と笑っている。
「坊ちゃんって!? グリエ殿は陛下のことを『坊ちゃん』とお呼びになっているのですか!?」
(有り得ない!! 自分の主君を『子供』扱いするとは。それに、誰もそれについて注意すらしない。フォンヴォルテール卿の部下らしいが、本当にこの男は何者なんだ)
「そう言えば、時々そういう呼び方をするね」
前を歩く猊下ものんびりと不思議がるだけだ。
「ちゃんと『陛下』とも呼んでますよ。でも、お忍びの時やああやって寛いでるときにはそれなりに言い換えた方がいいでしょ? 俺流の配慮ってもんです」
後ろからグリエ殿が返答する。間に挟まれた私はこの会話にどう反応したら良いのか、まったく分からない。
「僕には単に子供扱いしてるように思えるけど」
「そんなことないですよ!! 俺は陛下を気に入ってますから」
「どんな風に気に入ってるんだか」
「あ~、猊下、信用してないですね。ねぇ、少尉、ひどいでしょ。猊下ってこういう冷たいとこがあるから、気をつけないと」
「まったく!! 人のせいにするなよ。少尉、ヨザックは仕事柄、変幻自在だから、うっかりすると何されるか分からないよ」
「はぁ。その、お仕事とは……なんでしょう」
立ち止まった猊下は振り向いて、私の……後ろにいるグリエ殿を見た。それまで饒舌だった猊下の静かなその反応は(何かいけないことを聞いただろうか)と思わずにいられない。
「単身赴任の、国外勤務……なんです」
音もなく後ろから近づかれた上に耳元にこっそり囁かれて、思わず悲鳴を上げかけた。
「というわけで、少尉に来てもらったんだ」
ニッコリと笑う猊下を見ていたらなぜか頭の隅に(猊下とグリエ殿にからかわれた?)が浮かんできた。あまりにもお二人のタイミングが良すぎるのだ。
改めて振り向き、後ろでニヤニヤ笑う男をつい探るような目で見てしまった。
身長は私より頭半分高い、眞魔国でも珍しいオレンジの髪、魔族らしい整った顔にややつり上がった青い目、鍛えられていることが服の上からでも分かる体格。そして、面接の際の気配の消し方。
(大戦後、国軍を統括したフォンヴォルテール卿が軍を再編成する際、直配下の諜報部を設立するため魔族・混血・人間を問わず、優秀な人材をあちこちから引き抜いたと聞いた。私自身、情勢の不安な国で商売するため非公式に駐在の者につなぎを取ったこともあり、こちらから情報を提供したこともあるが、彼らはいずれもチームを組んでいた。なのに、この男は『単身』と言った。とすると、飛び抜けて優秀、ということか)
「いやだわぁ~、じっと見つめられるとグリ江、困っちゃう」
「ヨザック、男の格好でしても可愛くないよ」
「そうですか?」
(ここは血盟城の廊下で、けして劇場でコメディを見てるわけではない……はず)だが、言葉が出ない。
「ねっ、分かったでしょ。さっ、行くよ」
歩き出した猊下に後ろから「あっ、猊下。そこの階段を上ってください」と声がかかり、半日あまり城内を──コメディ役者たちに──引き回され、自分の体力が確実に衰えていることを実感する以上に、精神的疲労が重くのしかかっていた。
午後、執務室で陛下がフォンクライスト卿から文字の読み書きを習い、言葉が詰まる度フォンビーレフェルト卿──陛下の首を絞めて振り回した、あの少年。眞魔国日報に掲載された、巷で噂の『陛下が古風ゆかしい求婚をした』お相手ということを皆様の昼食時、グリエ殿から教えていただいた──から叱咤が飛び、それにチャチャを入れながら猊下がソファで寛ぎながら本を読む、という光景を目の前にして(なぜ陛下は読み書きなど、それもかなり幼児向けの内容を)とまた一つ謎が増えた。
「猊下、少尉と食事してきていいですか」
「しばらくいるから、ゆっくりでいいよ」
「はぁ~い。じゃ、行きましょ」

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