鐘楼から日の出を告げる鐘が鳴って城下の朝は始まる。普段ならまだ床で休んでいるこの時間、私は身支度を済ませて食卓にいた。
「お前まで起きなくても良かったのに」
「あなたが登城するのに、休んでいることなどできませんわ。それにお帰りは5日後ですし」
「今までだって他国に行って、もっと会えないこともあっただろ」
「それはそれ、これはこれ、です」
妻と食事を済ませ、見送りに起きて来た両親と挨拶を交わした私は、並足で約一刻あまり、血盟城の通用門を抜けて慌ただしく厩舎に馬を預け、与えられた部屋へと急いだ。
そこは、猊下のお部屋がある西棟の最上階、すぐ隣が城の正面に当る南棟とを繋ぐ渡り廊下の入り口。警護を想定した位置だが、蛇口を備えたシンク、お湯を湧かす程度のコンロがある狭いキッチンとベッド1台に服数枚が入るクローゼットが設置された寝室という間取りで、壁には猊下のお部屋から綱を引けば鳴るベルがあった。たぶん、元は王妃付きの侍女たちが控える部屋だったのだろう。
ドアを開けると、グリエさんが並べたガラス瓶を前に、何か考えているところだった。
「おはようございます。すいません、初日から遅れてしまって」
「大丈夫ですよ。猊下はまだ寝てますから」
「そうなのですか? でも、そろそろ朝食時間では?」
「ええ、だから『おめざ』をどれにしようかと。これが決まらないと合わせるお茶っ葉も決まらないんで」
『おめざ』は高貴な方がされる習慣で、私はしたこともない。(『おめざ』によって茶葉まで替えるのか、しっかり覚えなくては)、ペンと手帳を取り出し「それで、どの『おめざ』にはなんの茶葉を合わせるのか、教えていただけますか?」メモを取る気満々で質問したが、
「えっ? 特に決めちゃあいませんけど」
「でも、今、茶葉が決まらない、と……」
「ああ、俺の中でピターッとくるかどうかってことでして。ホントは組み合わせなんて関係ないんです。だいたい、猊下は朝、ボーッとしてることが多いから、味なんて分かりゃしません」
カラカラと笑いながら、「そうだ、今日はこれにしよ♪」とガラス瓶から『おめざ』を取り出して皿に並べ、紅茶の缶から適量の茶葉を温めたポットに入れてお湯を注ぎ、ポットカバーをすると鼻歌をうたい出した。こんな適当で、あの日の紅茶も入れたのだろうか。会った時から思っていたが、私はこの人が……分からない。
窓に近寄ったグリエさんが「あっ、来た、来た」と云うと、いきなり窓を開けて身を乗り出し「おはようございま~す!」と手を振っている。その行動にも唖然としたが、「おはよう!」と声が返り、慌てて窓から見下ろすと、護衛を連れて走り去る後ろ姿。
「陛下? グリエさん、陛下はなにを……」
「『とれーにんぐ』だそうですよ。チキュウでヤキュウという競技をされてるんで鍛えてらっしゃるんです。で、この後、お部屋に戻られて、汗を流されて、それから朝食。だから~、そろそろ猊下を起こさないと」
トレイを持ったグリエさんに付いて猊下の私室に入り、さらに奥のドアを開けた。天蓋付きの驚く程大きなベッドなのに、すっぽり被った上掛けが脇の方で盛り上り、少しばかり枕に黒髪が散らばっている。
「げ~か~、起きてくださいね~」
トレイをサイドテーブルに置くと、そのこんもりした塊をワサワサと揺すったグリエさんは、「もう~っ!」と言いながらカーテンを開けに行く。
さすがに猊下に触れることは恐れ多く感じ、頭と思われる膨らみに近づくと「猊下、猊下。お起きください」と声をかけた。
「あ~、そんなんじゃ、ダメですって」
ベッド際に戻ったグリエさんはそう云うと、ガバッと上掛けをまくり上げた。
「あっ、なんてことを!」
「ヨザック……、寒いじゃないか!」先ほどより余計に丸くなった猊下は明らかに不機嫌だ。
「はい、おはようございます。そんじゃ、起っきしましょうね」
「子供扱いは止めろ。僕は渋谷じゃない」
聞きようによってはマズいのでは……とも取れるが、グリエさんはまったく気にした様子はない。グズグズと起きた猊下は「はい」と差し出されたメガネを受け取って、おめざのクッキーを1枚取るとポリポリ齧りながら寝室を出て行く。
「猊下、どちらに?」
「少尉、おはよう。トイレだよ、ト・イ・レ」
男らしくバタンとドアを閉められ、入れ違いにクローゼットから猊下の装束を持ってきながらクスクス笑っているグリエさんと二人きりになった。
「ねっ。寝起き、悪いでしょ?」
「……そうですね」
戻ってきた猊下はフワァ~とアクビをしながら、もう一枚クッキーを摘んだ後、紅茶のカップに手を伸ばした。
「あっ、それは冷めておりますので、入れ替……え……」明らかに私の言葉は耳に届いておらず、そのままズズズッと紅茶を飲み干した。確かに『味に拘っている』ようには見えない。
「僕は猫舌でね、このくらいがちょうど良いんだ。あっ、猫舌ってこっちでも言うのかな?」
「聞きませんねぇ、そういう言い方。でも、熱いのは苦手って人はいますよ」
「ふぅ~ん、そうなんだ」
「ほら、早く着替えないとまた陛下に電撃突入されますよ?」
「まったくさぁ、どうして渋谷はノックしないんだろう。いきなりじゃ、ビックリしちゃうよ。まぁ、足音で分かるけどね」
「猊下、手が疎かになってますよ。口じゃなくて、ほら、袖に手を通して……」
私に……グリエさんのような甲斐甲斐しいお世話が……できるだろうか。
無事、朝食を済ますと執務室に移動された陛下は、山のように詰まれた書類から一枚一枚内容の説明を受け、サインをしていく。一緒にいらっしゃる猊下はときおり内容に質問をする以外、のんびりソファで読書中。その間、私たちは交代で朝食を済ませ、何事もなく午前は過ぎた。
眠気が誘う午後、陛下の乗馬訓練に付き合って馬場に出向いた猊下に囁かれたグリエさんは、「そんじゃ、行ってきます」と猊下と私を残してどこかに消えた。
「猊下、ご用でしたら私が。グリエさんがお側にいらっしゃった方がよろしいかと」
「んっ? どうして?」
「私の剣の腕では……」自分の剣の実力がおそまつなことは充分理解している。だから、陛下の護衛が一緒とはいえ、一人で猊下の警護をすることに不安があった。
「ああ、気にしなくていいよ。あ~んなに警護がいるんだし、これだけ広い野原だよ、誰か来たらすぐに分かるよ」
「そう……ですね。ところで、訓練されないということは、猊下は乗馬が巧みなのですね」
「うん、ぜ~んぜんダメだよ。運動は苦手なんだ」
「では、訓練されませんと。有事の時、お一人で逃げられなくなります」
「無理無理。どうせ僕一人で逃げたって直ぐに捕まるよ。それなら、抵抗しない方が怪我しない」
まるで他人事のような言葉に、「確かに相手が拘束を目的とした場合には有効ですが、暗殺を目論んでいた時にはみすみす相手を助けるようなものです」つい強い口調で言ってしまった。
「だから、警護をつけてるんじゃない。ねえ、自信がないならヨザックに訓練してもらえば良い。彼は……強いよ」
話を戻した猊下は、私が打ち負かされた光景を想像したようにほんの少し意地悪な笑いを浮かべた後、柵にもたれながら馬の上で苦戦中の陛下に視線を移し、私は(あっ、やはり言い過ぎたか)と気まずさからつま先に視線を落とした。

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