いつものように猊下宛の書状を整理していた私は、係に呼ばれてギュンター閣下の執務室を訪ねた。
「閣下、お呼びでしょうか」
「少尉──いつの間にか私への呼びかけはこれに定着していた、明日あたり、陛下と猊下がお帰りになるようです!」眞王廟の紋章がついた書状を見ていた閣下の声は感極まっていた。
「それはようございました。それでお出迎えは……大広間……でしょうか」
「書状によると、おそらく城内だとは思うのですが……」
「……決まってないのですか?」
「行き来については眞王陛下のお計らいなのですが、時折ずれることがあるのです」
(眞王陛下!?)眞魔国の民なら誰もが子供のころにこう教えられる “国の始祖たる眞王陛下は眞王廟で民の幸せを見守り、言賜巫女を通じてお言葉をくださる。だから眞王陛下のご期待に沿うよう努力するのですよ” と。一方、“4,000年前の人物がいまだ存在し、言葉を発するはずがない、そう教えることで祖先を敬うよう教えているだけ” とは大人であり商人としての私の見解だ。だが、国の重鎮である閣下が眞王廟の書状を持ち、いかにも眞王陛下が存在するかのような発言に驚いたが、それを表情に出すのは控えた。
「では、明日、準備をして登城いたします」
「ええ、そうしてください。あっ、グリエは出ているので間に合わないでしょうから、細々したことは私の配下を使ってください。誰かっ、ダカスコスを」
しばらくするとブツブツと何か言いながら頭を丸めた男が入ってきた。
「閣下、なんかご用ですかぁ。また僧院に行くとか言いませんよねぇ」
「お黙りなさい、ダカスコス。こちらは猊下の身の回りと警護をされているオスカー・ラウリ・パルヴィアイネン殿、明日からお手伝いするように」
「少尉、この男はリリット・ラッチー・ナナタン・ミコタン・ダカスコス。粗忽者ですがお好きなようにお使いください」
「閣下、フルネームはやめてください!」
「人に紹介するのに名前を言わないでどうするのです!!」
「ですが、閣下──」
(猊下とグリエさんも相当なコメディアンと感じたが、この二人も……そうなのか)
「ダカスコス殿、よろしく頼みます」
「あ、いや、ダカスコスで構いません。殿なんて呼ばれたら体中が痒くなる」
「そうですか、それではそういうことで」
翌日、登城した私はタオルを手に、ギュンター閣下、フォンビーレフェルト卿と魔王専用浴場の脱衣場に控えていた。
「本当にこちらにいらっしゃるのですか」
「前回は眞王廟の泉だったのですが、陛下が『冬なのに真水はないよ!』とおっしゃって、ですから今回は暖かいところをとお願いしまして。おそらく……こちらに違いない……はず」
「だが、言賜巫女から示された場所にちゃんと現われたのは、この前が初めてだったと思うがなっ!毎回、毎回、妙なところにばかり──」
「ヴォルフラム、失礼なことを言うのではありません!二つの世界をつなぐのですよ、並大抵のことではありません!」
「まあまあ、お二方。あまり騒がれては肝心の水音が聞こえませんよ」
反目しあう二人はほっておき、大切なものを胸に抱えて浴場からの水音をいまかいまかと待ちわびていた。
しばらくするとバシャバシャッと大きな水音がして、「ただいま!」と元気のよい陛下の声が響いてきた。
「陛下!」「ユーリ!」二人が我先にと浴場に飛び込み、私は初めて見る専用浴場の大きさと豪華さに驚きながらオズオズと歩を進めた。確か、この浴場は人見知りな第25代魔王陛下がシルドクラウドの温泉施設に憧れて造らせたと聞く。豪勢な造りはさすが専用といったところだが、たった一人で入るには広すぎてかえって寂しかったのではないだろうか。
陛下と猊下は渡されたタオルでざっと髪と顔を拭くと、人目を気にすることもなくチキュウからお召しになった服をいつものこちらの服に改められた。
以前グリエさんが言ったように、陛下は拭いた髪を手ぐしでざっと整えるのに対し、猊下の髪は乾くにつれてあちらからピン、こちらからピンと毛先が跳ねつつある。
「猊下、こちらを」いくらか冷めているがまだ温もりを持ったコテを見せた。私としてはひそかに、あの黒髪に触れることができるかも……と期待していたのだが、「ありがとう、少尉。でも時間がないからいいよ」とあっさり言われてしまった。
「ヨザックは……いないんだね」
「はい、そのようです」
特段、残念そうな口ぶりではなかったが、どことなく静かな振る舞いに(やっぱり……お寂しいか)、あれだけ息の合ったところを見せつけられては、そう感じるのも当然だろう。
支度の整ったお二人は執務室に直行。留守の間の報告を受けられ、書類に目を通し、休む間もなくこちらでの日常へと戻られた。
慌ただしく一日が終わり、自室に戻られた猊下はそろそろ入浴が終わる頃。
「少尉~ぃ、コテ、持ってきてくれるぅ~?」
「はい。ただいまお持ちします」
浴室のドアを開け、眼鏡をかけず鏡の前に立つ猊下に「まだ熱いので、私がいたしましょうか」と申し出た。
(本当に『ぬばたま』の瞳だ)そんな感想を抱いている私を見ると、ニィ~と笑いながら「無理しなくていいよ、やったことないんだろ」と見切った言葉。
この一ヶ月、妻に頼み込んで練習させてもらい、長い髪ならなんとか失望させることのない程度にはなっていたが、正直、火傷させずに猊下の短い髪でもうまくできるか、一抹の心配はあった。
そうして結局、猊下ご自身は無頓着だったが、ご滞在中、常に髪のどこかから毛先が跳ね、それを見続けた私は自分の至らなさが恥ずかしくて(次こそは本来の麗しいお姿に見られるよう、練習せねば!)と改めて決意した。
「少し、よろしいでしょうか」サイドテーブルから本を取り上げてベッドに入られた猊下に声をかけた。
「なぁに?」
「あまり良いお話ではないのですが、お伝えしなければいけないと思いまして。実は、前回お帰りになった後、私に接触してきた者がおりました」
「ふぅ~ん、なるほど。それで?」
「猊下へのお取り次ぎを……ならばまだ良いのですが、どのような方か人となりを知りたいと」
「ああ、やっぱりそういう輩が出てきたか」
「ええ」
「扱いやすければ渋谷を早々に退位させて、次に僕を立てようってか。まったく、いつの時代も変わらないなっ」
「御意」
「で、どう答えたの?」
言葉こそ柔らかだが、その顔には凄みが見え隠れしている。(この方はお若いのに……こういう表情もするのか)
「お教えいただいたように『穏やかそうにしているが、実際には気難しく、底知れぬ知識と、容赦のない判断を冷静に実行なさる、うかつに近づけば危ない方だ』と答えておきました。でも、私の言葉に効果があったかは分かりません」
「とりあえずは牽制するだけでいい。僕のせいで渋谷の治世に波風は立てたくないから。でも、積極的に出てきたときのことも考えておかなきゃね」
「どうされるおつもりですか?」
「消極的対処としては隠遁生活、積極的対処としては手ひどくやっつける、かな」
「まじめにお考えになってください」
「いやだなぁ、僕は大まじめだよ。人は貴重で入手困難だと知ると、どうしても欲しくなるんだ。そういう意味では僕の存在が知られた今、隠遁生活ってのはあまり良い手とは言えないね。かといって、やり込めてしまうと後々にしこりを残すことにもなる。この加減が難しいんだよ。それに、もし攻撃に出るにしてもまだ時期尚早。情報は穴だらけだし、どっちみちヨザックが必要だ」
「では、今後の回答も同じでよろしいでしょうか」
「うん。今回のはよく考えず性急に動いた者たちだろうから大したこともないだろう。さて、これで話は終わり。僕はもう少しこの本を読んでから寝るよ」
「それではこれで下がらせていただきます。お休みなさいませ」
「お休み」

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