翌日、午前の講義が終わった後に「フォンクライスト卿」と声をかけた猊下は、「僕はもっと知りたいんだよね」とまるで祖父に甘える孫のごとき猫なで声で書庫の鍵を貸してくれるように頼み込んだ。比喩ではない、明らかにそのつもりで強請ったのだ。
「猊下がそれほどまでにおっしゃるなら……合い鍵を用意させましょう」
陛下が同じことをしたらきっと閣下は汁まみれで卒倒しただろうが、不思議なことに猊下に対してはキラッキラな瞳、というか感激に打ち震えているように見えた。この差はそのまま、閣下がお二人をどう思っているかの違い……なのだろう。
「ありがとう!! それと……少尉が使っても構わないよね?」
「少尉がですか?」
さすがにこのお願いは上目遣いされても難しいようだ。
「うん、僕がいない間に調べ物とかしておいて欲しいんだ。ねっ、いいでしょ?」
双黒フェチ──ああ、なんと的確な表現──の閣下が拒否できないのを承知の上で、更にニコリと純真な笑顔を見せる猊下。巧妙としか……言いようがない。
「稀覯本の閲覧は猊下とご一緒の時だけ、と言うことでよろしいですか?」
「もちろんだよ、ありがとう!!」
そう云いつつ私を見上げた猊下は(してやったり)と笑った。この方は、いったい幾つの笑顔を持っているのだろう。
午後、陛下は乗馬の訓練にお出かけになり、城に残った猊下の元に合い鍵を持ったギュンター閣下がいらした。
「こちらが最近から500年前あたりまでの資料が収められている書庫です」
西棟4階の端のドアを開けると手前の部屋には書司が控え、およそフロア半分はあろうかという書棚に溢れた部屋がその奥に続いていた。
「お読みになりたい内容を言っていただければ、この者がご案内いたします。昼間は係がおりますが、もし夜にいらっしゃるときはこちらの鍵をご利用ください」
「ありがとう。うわぁ~、読みごたえありそう」
「それからこちらが北棟4階にある1,500年前くらい前までの書庫の鍵です。ここにも係がおりますのでご自由にお使いください」
「ゴツい鍵だね。それ以前のはどこにあるの?」
「こちらには置ききれませんので、あちらの別棟にまとめてございます」と窓から木立越しに見える、赤茶のスレート葺きの屋根を示した。ここからだと近く見えるが、歩いて行くとしたら警備兵の詰め所と小さい庭園を抜けていくことになる。向こうに通うようになったら警備のものに随行を頼んだほうが良さそうだ。
「恐れ入りますが、あちらの書庫の本は稀覯本のため持ち出し禁止となっております。お読みになる時はあちらでお願いいたします」
「で、鍵は?」
「昼間は係がおりますので……」
「そう、構わないよ。あっちに行くまでかなりかかりそうだから。さて、それじゃ少尉、攻めていこう!!」
さっそく読みたい内容を係に告げた猊下は案内されるまま、奥の方へと歩いていく。付いていこうと歩きかけた私に「少尉」と声をかけたギュンター閣下はどこか不安げだ。
「どうかされましたか?」
「いえ、今をお知りになりたいというのなら分かります。でもなぜ300年前の貴族年鑑なのかと」
「皆様方の前の世代だからではありませんか? 閣下からは昔から今へと教えていただき、ご自身は遡るおつもりのようです。そうすれば、より早くこの国の概要が掴めますから」
「そうですか、……それなら良いのです」
「なにかご心配になるようなことがあるのですか?」
「いいえ、猊下のご探求心には感心しているのです。ただ、少し性急すぎるのでは……とも思いまして」
奥の方から猊下の「そうそう、こういうのが読みたかったんだ」という嬉しそうな声が聞こえている。
「猊下にとって『知らない』ということがご自身には許せないのかもしれません。あるいは、もしかしたら恐れていらっしゃるのかも」
「実は……本当に知りたいことは隠されているのではないかと感じているのです」
それは私も同じだ。前回言い付かった宿題には人間の国の地理と歴史も要望されていた。それもここ100年前後どころではない、「できれば4,000年前あたりからがいいんだけど、無理かな?」
さらっとおっしゃったが、戦争を繰り返した人間たちの国は眞魔国と違って、きちんと整理された資料などほとんど残っていない。仮に残っていたとしてもそれらは当時の王や権力者たちが自分たちの都合のいいように編纂したもので、本当の歴史は伝承や言い伝えにしか残っていない。果たして、どのくらいかき集められるのだろう。
「いずれにしても、その内お話しくださるでしょう」
猊下の語られるその内容は、我々にとって吉兆となるのか、それとも凶兆となるのか。
陛下曰く、チキュウでは『猫にマタタビ』と言うらしいが、ここでは新たに『猊下に書物』という言葉ができそうだ。
信じられないくらいの集中力で読み進む猊下は午後だけで分厚い本を2冊読破し、夕食の時刻だからと説得してやっと途中まで読んでいた3冊目を閉じてくださった。
こうしてお一人の時間には書庫に籠もる日々が続くことになった。

これ好き
良かったらこの ハートをあげる!! をクリックしてね。
Loading...