Practice 2:

猊下が部屋の模様替えを宣言したのは翌日だった。自室ではない、陛下の執務室をだ。
「構わないよね?」
「ああ、まあ……お好きにどうぞ」
と拒否は一切認めない姿勢に陛下は圧倒されて話は決まり、てきぱきと猊下が指示を出していく。
「で、猊下。どんな風に替えるんですか」
「サロンの家具の配置をね、こうして欲しいんだよ」
陛下の執務室も閣下がたのも基本的には同じ配置。廊下から入った小部屋は受付兼警備兼秘書席と書類などが入ったキャビネットがある。ウチの親分の場合はとびっきり優秀なミセス・アンブリンがお出迎えしてくれる。彼女はヴォルテールから連れてきた私設秘書なんだが、閣下とアニシナちゃんのあしらい方を見れば、実は影の将軍と呼んでも良いんじゃね?というのが俺たち配下の評価。
入って右手側のドアを開けるとサロン。陛下のサロンはソファや椅子などがあって、文字通り内輪の客用といった感じ。大体、猊下はここのソファで寛いでいる。サロンに入った正面の2枚の引き戸で仕切られた奥が陛下の執務室だ。一方、閣下のとこは10名ほどが会議できるようなでかい机が置かれ、壁は眞魔国を中心とした地図と資料がぎっしり詰まった数本のキャビネットが置かれている。
家具を動かしたり備品を追加したり、一段落していつもの位置──サロンのドアを開けた脇の壁際──に立つと、ソファに座る猊下と鏡越しに目が合った。
それまでのソファは窓を背に廊下と平行に置かれていたため、陛下と俺はちょうど正反対の位置、両方を視界にいれることはできない。ところが、動かしたソファと新たに持ち込んだキャビネット──ご婦人が姿見に使うドアが鏡仕様の(まっ、俺も使うけど)──からだと奥の陛下を見てる振りしてほんのちょっと視線を動かすだけで必ず俺が目に入ることになる。
(ハハァ〜ン、なるほど。これからはにやけないように気をつけなきゃ)
つらつら思うに、いつもの日常を恋人としての観点から見直すと、俺が猊下に触れるチャンスは結構あることに気付いた。朝、起こす時。但し、わりと邪魔してくれる少尉はいるが。服・タオル・カップ・本などを渡す時。だからと言ってベタベタできるはずもなく、あくまでそれとなく。馬に乗る時、降りる時。ああ、これは公明正大に抱っこできるが、こう寒いと猊下はなかなか外に出ようとしないんだよなぁ。髪を乾かす時。うん、これは猊下が他の人にはさせないから役得とも言える。
でも、これじゃ足りない。というか、また文句を言われそうだ。なんとかしなきゃな。

午後、陛下は剣の稽古に行かれ、猊下は階下の図書室で読書の時間。
「猊下。もしよろしければ、書状の整理をしてきてもよろしいでしょうか」
そう言って少尉は東棟に留まった。出て行き間際の俺たちへの視線は(時間は作って差し上げましたよ)と言っているようで、……まったく喰えない親父だ。
前の一件があってから扉前だけでなく室内にも警備が配置されているが書棚が連なる通路にまでは入ってこないので、完全とはいかないがかなり二人きりになれる。
「今日はどのあたりを攻めるんです?」
「手前はかなり読んだから、奥に行ってみようか」
見上げる猊下の顔はしっかり少尉の意図を理解している。
「そんじゃいきましょうか」
俺たちに続く足音は聞こえない。

「今日はこの棚かな」
両側が天井までぎっしりと本の詰まった棚に挟まれた中央通路の入り口で立ち止まると、軽く指差した。
「こんだけあると選ぶだけでけっこうな時間がかかりますよ」
「そうだね」
ここまでは聞かせるための会話。
書棚に向かって「あれとそれと、あとこれも」
指定された上の方の本を抜いては小脇に抱える。両腕が一杯になったところで言ってみた「なんか手が痒いです」
「えっ?」
「古い革に被れたみたい。猊下、ちょっと掻いてくださいな」
2冊ほど鷲掴みにしている手の甲を見せ、期待を込めて見つめた。
うっすらと笑みを浮かべ、爪先で軽く掻いていた猊下はやがて指の腹で擦り、しっかりと手を重ねてきた。体温だけでなく互いの気持ちが伝わるようで、なんとなくこそばがゆい。
体の向きを変え、見つめあう視線を近づけようとほんの少し屈んだ瞬間、抱えていた本を落とすという俺にあるまじき失策、どうも猊下を前にすると注意力が散漫になりがちだ。思った以上の音の大きさに慌てた警備の「猊下、大丈夫でしょうか」の声と足音に、猊下はすかさず通路に姿を現わし「ああっ、大丈夫だよ。本を落としただけだから」とその足を規制、俺は「いやだわぁ、猊下ったらアタシにこんなに持たせるんだものぉ〜」と後に続いた。
あきれ顔の兵たちに聞かせるように「たかだか5冊じゃないか、しっかり持ってろよ」と言った後、小声で「ドジ」と付け加えた。(まったくおっしゃる通りで)

書棚と書棚の間が少し広めに開いた窓際に猊下の読書コーナーがある。猊下自ら何脚もある椅子を厳選し、体がすっぽり収まる大きめの椅子に腰掛けると左のティーテーブルに持ってきた本を積み、上から手にするとものすごい早さでページを捲って──『速読』というらしい。陛下ならおそらく30ページがやっとじゃないだろうか、たぶんページを捲るより飽きる方が早い──読み終わると右のティーテーブルに。だいたい半日で3冊は読み、持ち出せるものは私室へ。その間、俺は神経の9割を窓の外や室内などの警備に割き、残りは猊下を眺める、これがいつもの日常。
冬の弱い日差しにも関わらずまつげの陰が肌に落ち、想いに愁う女性のような美しさを見せている。
あっ、またうるさそうに前髪を払っている。お帰りになってから一月か……、そろそろ髪を切った方がいいかな。
なんでも、こちらでどんなに長く過ごしてもチキュウに戻るとほんのちょっとしか時間が経っていないそうで、髪やら爪やら、成長盛りで身長まで伸びているとご家族に不思議がられるそうだ。さて、今夜は猊下の身繕いといこう。
一月……、よくよく考えると、陛下や猊下臨席の大きな行事が終わったり、何か事件が解決すればいつもチキュウに戻ってしまう。つまり……いつチキュウに戻られてもおかしくないということだ。

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