Practice 5:

「あ〜、その髪……」
「単に濡れたまま寝ただけ」
「始めて見るけど、癖っ毛って……大変だな」
「ストレートの君にこの苦労は絶対理解できないよ。ほらっ、僕なんか見る暇あったらさっさと食べて仕事しようぜ」
猊下の一言、一言が俺のDカップな胸にグサグサと突き刺さる。
陛下と少尉の問いかける視線には曖昧な笑みを返し、ギュンター閣下の咎める視線には(あんたに言われる筋合いはないぜ)と完全無視。
ああ、それにしてもあんなに酷くなるとは……。
蒸らしたタオルで寝癖を取って丹念にブラッシングを、との提案に耳を貸すこともなく──もちろん俺に手出しなんぞさせず、あれはまるで乱れきった髪が猊下の心……というか怒りを体現しているようだ。
今月の初めの模擬戦で大幅に時間を取られ、来月の春を迎える式典の準備に走り回ってる上に、せっかく少尉が二人だけの時間を作ってくれようとしても、当の猊下は素知らぬ振りで陛下の側を離れず、図書室では常に人目のある場所にいて近づく機会さえ与えられない。極め付きは風呂上がり、「そろそろ努力の成果を見せてもらおうかな」とコテを差し出す始末。
頼まれた少尉は「はぁ、それでは……させていただきます」と後ろに回って俺を気の毒そうに見るに至って、これ以上黙っていられなくなった。
「げ──」
「猊下。こうしてお世話させていただけるのは光栄ですが、……当てつけの道具にされるのは不本意です」
(えっ?)
出ばなをくじかれた格好だが、ほとんどこういう直言をしない少尉だけに一気に毒気を抜かれてしまった。猊下ですら唖然と見上げている。
「昔から『夫婦ゲンカは龍も冬眠する』と言う一方、そういう時は間に導師を立てて胸の内に溜まった鬱憤を言い合うという良い習慣もあります。この際ですから私が導師になりましょう。さっ、鬱憤を晴らしてください」
猊下の前髪にコテを当てつつ、少尉は俺と猊下の視線を遮るように位置を変えた。
(はい、それじゃあって話じゃないだろう? まったく何を考えているんだか)
でも、猊下はそうじゃなかったらしい。
「だいたいさぁ、自分じゃ優秀な御庭番とか言ってるけど……」
徐々に声は小さくなり、(あんた、何、言ってるんです!!)と焦ってもどうにもならない。
「なるほど」、「それはそうですね」、「おっしゃることは分かります」と間の手をいれ、話が終わると「さて、グリエさん。猊下はあなたの探索能力の低さを嘆いていらっしゃいます」
振り向いた少尉の陰から猊下がムッとした顔で俺を睨みつけている。
「そう言いますけどねぇ──」
「グリエさん、“私に”話してください」
猊下を隠すように立ち位置を変えた。
「いいですとも。少尉、聞いてくださいよ、猊下はせっかち過ぎるんです。全容すら分からない迷路なのは少尉もご存知でしょ?」
「まさに『迷路』という言葉が相応しいところでしたね」
「でしよ、でしょ? 俺の持ってる魔石じゃ入れないって言われてるし、時間がかかるのは当然じゃないですか!!」
「……だそうですよ、猊下」
「それはそうだけど……」
「努力はなさっているんですね、グリエさん?」
「もちろんですよ!! 毎晩、猊下を待たしちまってってすいませんって思いながら探し回ってたんですから」
「それは殊勝な心がけですね」
「でもさ、これだけ経ってもこっちの通路の入り口すら分からないって、君の能力を疑りたくもなるよ」
「ということは、猊下でしたらすぐにお解りになるので?」
「……僕は彼じゃない」
「どうでしょう、たまには猊下がお探しになって、グリエさんは待ってみるというのは」
「だめですよ!! そんな危ないこと。マウノに言われたでしょ、絶対だめ!!」
「ふぅ〜ん、君、マウノさん知ってるんだ」
「あっ、この間会って……教わって。だから、猊下が開けてくだされば……」
「ふん、もうそんな気にならないよ」
「はぁ? あんなに積──」
とまで口にして、ふと視線を巡らすといつの間にか少尉は向き合った俺たちから外れ、素知らぬ顔で使った道具を片づけている。
「まだ導師は必要ですか?」
背中を向けながらの言葉に思わず俺たちは顔を見合い、ふっと息を吐くと猊下はいつもの「お疲れさま」に「ありがとう、もう大丈夫」を付け加えた。
何もなかったように退出する少尉を見送った俺はついグシャグシャと髪をかき混ぜながら「……参ったなぁ」、クタッと椅子に座り込んだ猊下は「ああくるとは思わなかったよ」、互いに意外な展開の感想を口にした。
改めての二人きりを妙に意識しながら軽く視線を逸らせ、ささやくように問いかけた「それで……本当に“その気”にはなりませんか」
形の整った髪を弄りながら「どうかしてたんだ……あの時は」、その表情は堅い。
(俺はせっかくの機会を失ったらしい、……あの激情に溺れれば良かったのか)
「ヨ──」
「分かりました。今夜はこれで」
習慣になっていた“おやすみ”のキスもせず、部屋を出た。
(あの夜を除いて今までに俺が目にした感情に突き動かされる猊下は、陛下を止めようとしたあの荒れ地での姿しかない。陛下のとは別な愛情だけど、それでも愛されていることは充分に分かる。そうさっ、自分を押さえることなど大したことじゃない……もう少しくらい)

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