「パルトヴァイネン殿」
アニシナの研究棟から戻る途中、少尉に声をかけてきたのはロシュフォール・イニュス、地下通路の番人の一人だ。
「お久しぶりです」と言ったあと、少尉は含み笑いをもらした。
「どうかしましたか?」
「いえ、あなたとこうして昼日中にお目にかかるのは初めてだな、と」
「それはまあ、そうですね」
目元を緩めたイニュスはさらに言葉を続けた。
「それで、実はグリエさんとお目にかかりたいのですが、いかがでしょう」
「……お話の内容如何によっては」
「警戒されるのはごもっとも。ですが、私の目的はお渡ししている物をお返しいただきたいだけなのです」
「ということは、アレ……ですね」
「ええ。協議の結果、ことがはっきりするまで地下通路はお使いいただかないようにと決まりまして」
「あなたもそうお考えですか?」
「私と従兄弟以外はグリエさんを知らないので」
言葉の裏で自分は不本意であることをにおわせている。
「聞いてみましょう。夕食後、研究棟の入り口で……いかがですか?」
「あまりあそこには近づきたくはないのですが……グリエさんは出て来れないでしょうから。ええ、お伺いします」

イニュスの用件を話すと、すっかり忘れていたのかヨザックは「えぇっと、俺のアレは……」と考え込んでしまった。
「まさかどこかに失くしたのですか?」
「とんでもない!! 城を出るまではちゃんとここに」と髪を探りながら、なぜか顔を赤らめた。
「どうかしましたか?」
「いえ、ちょっと……あの日、聞いちまったことを思い出して」
「顔を赤らめるような? それはなんとも、ぜひ聞かせていただきたいですね」
「止めてくださいよ!! で、その後自室に戻って、閣下っとこへ顔出して、城下の自分の部屋に帰って……いや、城に置いてきたんだ」
「私が取ってきましょう。で、どこに?」
「猊下のグルーミングケースの中です。あそこなら掃除係にうっかり捨てられることもないから」

城内とはいえ、主な棟から離れている研究棟の周囲は日が落ちてもかがり火が焚かれることもなく、室内から漏れる明かりだけが光源となっている。薄暗い玄関に無事入れたことにイニュスは緊張を残しながらもホッとしていた。何しろここの主は赤い魔女なのだから。
廊下の奥から二人の足音と杖の音が近づき、やがてはっきり姿が見えるようになった。
「イニュス殿」
声こそ以前と変わらないが、杖をついたその姿に言葉が一瞬遅れた。
「こんばんは、グリエ殿」
「ご足労かけまして、すいません」
「いいえ、かまいません。こちらこそ失礼なお願いをしまして、申し訳ありません」
「気にしないでください。俺は当然だと思ってますから」
「お二人とも、立ち話もなんですからおかけになってはいかがですか」

来客用のベンチに腰掛けると、イニュスは話をきっかけを切り出し損ねたように押し黙っている。そんな様子を気にかけることもなく、グルーミングケースを開けて小さな紙包みを取り出し「それじゃ、これ。お返しします」と差し出した。
「検めさせていただきます」
取り出した魔石は夕暮れのようなオレンジにうっすらと白の線が引かれている。
「確かにお渡ししたものです。ですが、グリエ殿、私は一時お預かりするだけですよ。魔石はその主にだけ作用するものですからお返しいただいても困ります。お分かりですね」
暗にヨザックを応援している口ぶりに少尉が笑みを漏らす。だが、ヨザックの笑みにはどこか空虚さがあった。
「それで、猊下のはどうされましたか?」
「猊下のもお返しするんで?」
「あ〜、それは……」
二人の反応を面白く感じたのかニヤッと笑うと「無理にとは言いませんが、一応確認したいので、お持ちでしたら見せていただけますか」
「俺、持ってません!!」
「グリエさんが──」
まったく逆を口走った二人が顔を見合わせる。
「持ってたけど──」
「私がお預かり──」
「お二人は面白いですなっ。どちらでもかまいませんよ、ちゃんとお持ちでしたら。さっ、どうぞ」
再び顔を見合わせると「えっと、猊下がお帰りになるとき俺が預かって、加工してもらうために店に」
「カットや穴を開けるとか? 魔石は慎重に──」
「いいえ、そのまま埋め込むようにしましたよ。で、俺は任務について、受け取りを少尉に頼んだんです。取ってきてくれたんですよね?」
二人の視線が注がれた少尉は言いづらそうに視線を逸らしながら「実は……まだなのです。その、うちの者を取りにいかせたのですが残金があまりに高額だったそうで『自分に任されている範囲では決済できない』と」
「あー、少尉。確認したいんですが、一体、どのくらい足りなかったんです?」
身を乗り出すヨザックを避けるように「グリエさん。確かに不足分は立て替えると申しましたが、正直言って……お預かりした給金の20倍ほど」
「嘘でしょ!? だって、だって……こんくらいの、ちょっと大きめの指輪1個ですよ!?」
必死に指で輪を作ってアピールするが、「イダールとはそういう店だということを甘く見ていましたね」
少尉の言葉はまさに追い打ち状態で、ヨザックはため息しか出ない。
一方、イニュスは「ほう、イダールとは。あの店なら魔石の扱いも心得ていますから一安心なのですけれど……かなりの散財ですな、グリエ殿」と可笑しいやら気の毒やらといった様子。
「そう気を落とさずに。お約束した以上、きちんとあなたにお渡ししますからご心配には及びません」
「本当に?」
「こう見えても世界を相手にするK&P商会ですよ、指輪1個で潰れたりしません。ですが、一応、証文は書いていただけますね?」
「ええ、もちろんです」
話が一段落したことを察したイニュスは「さて、用は済みましたし、私はこれで失礼します。グリエ殿、また地下通路でお会いしましょう」、別れの挨拶を告げて去っていった。
順調であれば、あと10日ほどで陛下一行が帰国する。

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