・3・

鍵の開く微かな音、入ってくる誰かの気配。
俺を閉じこめているのは敵……なのか?
尋問もなければ拷問もない。
丁重に治療され、もちろん口にしないが食事も与えられる。
味方だとしたら、どうして閉じこめられているんだ?
俺が何かしたのか?
それとも……しなかったからか?

翌日、ギーゼラが部屋に入るとグリエは起き上がって、正確に扉の方を振り向いた。「おはよう」と声をかけたが返事はなく、警戒していることが伝わってくる。
「私は医者です。包帯を取り換えますよ」
グリエはまるで野生の獣が近づく足音で距離を測るように頭を傾げた。
慎重に包帯を外すと薄い膜のかかったまだ少し充血した目ではっきりこちらの目をのぞいてくる。
「もう包帯はいりませんね。でも、強い光は避けた方がいいでしょうから外は見ないように。いいですね?」
こちらの言葉が伝わっているのか、相変わらず反応はない。
「名前は? 自分の名前は言えますか」

ややぼけた視界の中、薄暗いせいなのか肌色の悪い、だが穏やかな表情を浮かべる豊かな緑色の髪をまとめた女が俺に質問している。
名前……

「何か覚えていることはありますか」

変な質問だ、名前とか、覚えてることとか。
だが、それで分かった。
この女は俺が知っているはずのなにかを知りたがっているんだ。
でも、それはなんだろう。
それを言ったら、俺はどうなるんだろう。

「私もこの船もあなたの味方、同胞ですよ。国に帰るんです」

正体の分からない奴の『同胞』ってやつを信用するな
本当の『同胞』なら符丁を言うはずだ
……誰かが俺にそう教えた。

ヨザックは一言も発せずプイっと横を向くとうずくまってしまった。
(私、何か間違ったことを言ったのかしら)
「また来るわね」

乗船してから習慣となった陛下がたへの報告を終えたギーゼラは「ヴォルフラム閣下。『味方』とか『同胞』って言葉、グリエに言ってはいけなかったでしょうか」
「さぁ、僕は分からない」
「言ったのですか、その言葉を?」
「ええ、艦長。その途端、また閉じこもってしまって……」
「以前、諜報に携わる友が言っていたのですが、一番始めに教わるのが『味方なんて言う奴は敵』なんだそうです」
「ああっ、知らなかったとはいえ迂闊なことを。陛下、猊下、本当に申し訳ございません」
「気にすんなって、知らなかったんだからしょうがないよ」
「言葉に反応したってことは自分を取り戻しつつあるんじゃないかな」
「一番手っ取り早いのは俺の姿を見せることじゃね? だって、俺が生きてるって分かれば──」
「ダメだね、渋谷」
「お前はバカか」
猊下と閣下は顔を見合わせ、珍しいことに続く発言権は閣下が勝ち取った。
「お前を殺そうとしたんだぞ!? この狭い船内では逃げるのも剣を交えるのも困難なのに、正気かどうかも分からない時点で姿を見せて襲われたらどうするつもりだ」
「その通り。まだ時期尚早だよ」
「それじゃ、いつになったら良いんだよ」
テーブルに乗り出していた陛下はドサリと椅子に体を落とした。
「でも、このままじゃ埒が明かないのも事実なんだよね。もう一押しできることってなんだろう」
独り言に近い猊下の言葉に、「ユーリと猊下がダメでも僕なら問題ないのではないか?」
「ヴォルフ?」
「僕は双黒でもないし、ギーゼラよりは奴に近いだろう」
「で、どうするつもり?」
「ギーゼラが治療する時か食事を運ぶ時、呼びかけてみるというのはどうだ」
「そのくらいならいいかもしれない。試してみよう、いいよね、フォンクライスト卿」

「なんでこういう時だけ自分が喚ばれるんだか……、持ってったって食べやしませんって。ずっとそうなんだから」
「うるさいぞ、ダカスコス」
部屋の奥でうずくまっているヨザックの近くにスープの入った器を置くが、人の気配にも、差し出された器にも一向に興味を示さない。しばらく観察していたダカスコスがしびれを切らしたように「毒なんて入ってませんからよ。なんだったら俺が一口飲んで見せましょうか? ねぇ、グ──」
「おいっ!」
戸口近くで観察していたヴォルフラムは臆せずつかつかと近づくと、うな垂れているヨザックの顎を持ち上げてその瞳を覗き込んだ。
──フォンビーレフェルト卿。名前というのは自己を認識する最も強い言葉だ。できれば教えず、自分で思い出させたい。その代わり『魔王陛下』って言葉を使ってみてくれないか? それで渋谷がターゲットか判ると思うんだ──
「眞魔国の優秀な兵士がこのざまか、魔王陛下になんと申し開きするつもりだ!!」

眞魔国、魔王陛下、魔王陛……、……魔王、……双黒
“ただいま!! ヨザック”
“ヨザック、その本も取って”
『魔王』という言葉に、なんでこんな声が浮かんでくるんだ。
これは全部、魔王が俺に向かって言ってる言葉なのか?
“ヨザックの上腕二頭筋はホント憧れだよ”
“ねぇ、ヨザァ”
声は二つ。どちらが魔王の声?
それに……ヨザックって俺の名前?
ヨザァとはかなり親しげな云い方だが、そんな風に言われるほど近しいのか?
とにかくなんか両方とも……聞いてて嬉しくなる声だ。
“殺せ!! 魔王は私を、お前の主である私を殺そうとした奴だ。痛めつけて、殺せ!!”
誰だ!?
いやな声だ、まるで俺を押さえ……付け……て……

ヨザックの瞳孔が僅かに小さくなった。それだけでも充分な反応と判断したヴォルフラムは唖然と突っ立っているダカスコスに「いくぞ!!」と言うと部屋を出た。人払いされた廊下には陛下と猊下が待っていた。
「どうだった?」
急く二人を無言のまま部屋まで追い立てると、「やはり『魔王』で反応したぞ、ほんの少しだが」
「……そっか」
「そうガッカリするなよ、渋谷。逆に言えばちゃんと君を覚えてるってことじゃないか」
「どう覚えているかは問題だがな」
礼儀正しく扉がノックされ、当番兵が昼食を持ってきた、
陛下は目の前に置いた皿を見て、「ありがとう。あ〜、やっとまともな食事だ!!」
一方、「えっ、僕はまだスープでどうして君は固形食なんだ!?」と猊下。
「知らなかったのか? ギーゼラが今朝、ユーリの床上げを宣言したんだ」
猊下の知らないことを知っているという優越感からか、腕組みしたヴォルフラムはニヤリと笑った見せた。
「僕は? 僕はまだなのか、なんでぇ!!?」
「基礎体力の違いだろう。食べたらベッドで寝てるんだな、猊下」
皮肉っぽいその口調は村田に彼のそっくりさん──この顔立ちは僕にとって鬼門かも──を思い出させた。

ヨザックは明るく呼びかける声を支えにして、再び闇に引きずり込もうとする声に抗っていた。

俺はヨザック
“殺せ!! 魔王を殺せ!!”
イヤだ!! イヤだ!! イ……ヤ……
“ヨザック、行くぞ”
“殺せ!! 魔王を殺せ!!”
“ヨザック”
“双黒の魔王は敵だ、殺せ!!”
違うっ!! 魔王は、魔王は、魔王……陛下!!
“ヨザック、後ろ!! 後ろから──”
後ろから……石。そうだ、後ろから石の球が……俺を押し……つぶした。
“そうだ、お前は死んだのだ。死人は私に従え!!”

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