「やっと生まれましたね」
聞き慣れない声に振り向いた僕は新たに到来した天使──ピンクがかった灰色の長い髪の、見たことも想像したこともないほどの美形。どちらかというと女性的──から目が離せなかった。
彼は僕の存在など目に入らないようで、ただまっすぐに浮かんでいる赤ん坊に向かうと柔らかく抱き、懸命にあやしている。
「なんと可愛らしいのでしょう。瞳と髪の両方が黒なんて初めて見ました。グリエ、ご苦労様。さっ、帰り──」
(なんでそこで言葉を切った?)
違和感に顔をゆっくりヨザックの方に向ける。もし擬音をつけるとしたらたぶんギギギッ、木製の人形の頭をむりやり回すみたいな音だと思う。やっと視界に入ってきたヨザックは壁につられた操り人形のように力なく下を向いている。僕の存在も新たな天使の言葉も耳に入っていないようだ。
言葉も出ず彼の視線の先に目を落とすと、灰色に抜け落ちた羽根が散らばっていた。唖然として見ている合間にも一枚、また一枚。枯れ葉のようにハラハラと足元に溜まっていく。
「ヨザ……ック?」
僕の声にゆっくりと、どうしたら良いか分からなくて泣き出しそうな顔をあげた。
「わた……し」
やっと絞り出した声はバサッという音で悲鳴に変わった。

子どもの頃、牡鹿の角がどう落ちるかテレビで見たことがある。痒そうに木にこすりつけているとあっけないくらいにポロっと落ちて(虫歯もこんな風に簡単に取れたらいいのに)って思ったのを覚えている。
何の根拠もなく「大丈夫、大丈夫だよ、なんでもない、すぐに元に戻るから、ヨザック!!」悲鳴を上げ続けるヨザックを抱きしめた。
「これはなんと……グウェンダル、グウェンダル!!」
「うるさいぞ、ギュンター。私は執務で忙しいのだ。またくだらないことで呼び──」
「いいから、あれをご覧なさい!!」
「お前……ら? なにつっ立ってるんだよ、なんとかしろよ!!」
赤ん坊を抱いている天使と新しく現れた胸当てに篭手に剣まで携えた厳しい顔つきの天使を怒鳴りつけたが、彼らは無言だった。
「グウェンダル、私はこの子を連れて帰りますから、あとは任せましたよ」というなり、フワッと舞い上がって空の彼方に消えてしまった。
「なんだよ、逃げんのかよ!! 戻ってこいよ、この人さらい!! バカ天使!!」
「怒鳴るな、人よ。同調は切れたからもうあれには聞こえんぞ」
天使というよりマフィア映画のボスみたいな重々しい声に一瞬ビビった。ヨザックはもう一言も発しない。あまりのショックに気を失って、預けられたその体の重さに僕は座り込んだ。
「悠長に構えてないでなんとかしたらどうなんだよ」
眉間にしわをよせ、口元を覆ったバカ天使その2はどう説明しようかと思案しているらしい。
「いい加減にしろよ!! 『下手の考え休むに似たり』なんてやってる暇、ないんだから」
渋い顔のバカ天使2は僕を睨んだが、所詮は天使だ、人間の狂気をはらんだ凄みに比べたらどおってことない。
「とにかく、ヨザックを僕のベッドに運ぶから手を貸せ」
バカ天使2は仕方なく長身をかがめてその手を伸ばしたが、あっけなくヨザックの体を突き抜けた。
「分かったか。私とグリエとの同調は……切れたのだ」
「でも……どうして……」
「グリエはもう天使ではない。人になったのだよ」
抜け落ちた羽根はどこかに消え去り、履いていたサンダルも消えかけている。その代わりにいつ風呂に入ったかも分からないほどの強烈な臭いが鼻を突いた。それで僕はヨザックがもう天使でないことを実感し、悲しんだ。あの美しい大きな翼を輝かせて青空を舞う姿を見ることはないのだ。
「毛布と枕を持ってくるから、……消えるなよ」

枕をあてがい毛布をかけると、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。バカ天使2はヨザックの近くに座ってうつむいている。悲しんでいるのは伝わってくるが、それより僕は何も分からないことに腹を立てていた。
牛乳をたっぷり注いだカフェオレ──猫舌が悪いか!!──を続けて二杯飲み、三杯目はブラックで。
「それじゃ説明してもらおうか、始めっから」
「始めから、か。そうだな、あの方はこの世界を作る手伝いとして私たち天使をお作りになった」
「そこから?」
「始めからと云っただろう。そして、あの方は興味の対象を他に移され、この世界の世話を天使に託されたのだ」
「はぁ?」
「途中は端折ったが、聞きたいか?」
「いや、いいよ」
「では、続けるぞ。あの方がいらっしゃる時はいくらでも天使をお作りいただけたが、この世界が成長するに従い、今いる私たちでは手が足りなくなってしまってな。お前も分かっているだろうが、私たち自身は生み増やすことはできないのだ」
「それで人間を使うってわけ?」
「まあ、そういうことだ。しかし、誰でも良いというわけではない。同調できる人が見つかって、さらにその人が天使を拒まない時だけだ」
「それで、天使が人間になっちゃうっていうのはどのくらい稀なわけ?」
「文献には記録されているようだが、私が直接見たのは今回が初めてだ」
「ヨザックは……天使に戻れるの?」
「……時間の長短はあるが、いずれは戻る」
「間違いないんだね? あ〜、良かった」
「戻したいのか?」
「ん〜、彼があの──失ってしまった──翼を大きく広げて青空を飛ぶ姿は本当に綺麗だったから。あれがヨザックの本来の姿だし」
「そうか」
グウェンダル、だっけ──はうれしそうにも、悲しそうにも見えた。どうしてだろう。
「それで、彼を天使に戻すにはどうすればいいの?」
僕の質問にグウェンダルは再び眉をひそめた。しばらく逡巡した後「お前との同調が切れれば、グリエは天使に戻る」と云った。
「さっきから同調、同調って云ってるけど、僕たちは──」
そこまで口にして、以前の会話を思い出した。
「ねぇ、天使ってなんなの?」と質問した僕に、ヨザックは「愛の塊、ですかね」
僕たちを結びつけているのは天使のいう『同調』、人間の言葉なら『愛情』ってことは、ヨザックへの愛情を僕が失ったとき、天使に戻るってことなのか?
床で寝ているヨザックを見る僕の顔つきから考えていることが分かったのだろう、「……だから、人によって時間の長短があるのだ」と云った。

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