やっと週末になって、彼を外に連れ出すことにした。公園デビューよろしくエレベーターやロビーで会うご近所さんには「父の友人の息子で、しばらく僕の家にいることになったんです」と説明して、OKな感触を得た。
後は彼が一人でも出歩けるよう近所をブラブラ。買い物をしながらお金の概念と使い方、昼はファーストフード、夜はファミレスで食事の練習。ヨザックは覚えが早く、これなら一人にしても大丈夫だろうとホッとした。
「明日は駅まで行ってみよう。電車に乗れないとどこにも行けないからね」
「でも、大学には一緒に行けないんでしょ?」
「学生に紛れ込むには、君は目立ちすぎるからね」
そんな会話をしながら家に帰ると留守電が入っていた。再生して見ると父さんだった。
「健、彼女ができたんだって? 早く写真を送ってくれよ、そうじゃないとボブがそっちに行くぞ。彼はお前のことを甥っ子みたいに思ってるのは知ってるだろ」、そこまで聞いて思わず停止ボタンを押した。
「続きを聞かないんですか?」
「台風が来る」
「はっ?」
「ボブだよ、ボブ!! あの変人なら、絶対にここに来るぞ!!」
通称ボブ、父さんが初めての海外赴任で知り合った、大富豪だか政府高官だか知らないが、とにかく変人奇人の代表格。どういうわけか父さんを気に入って息子のように可愛がり、結婚式には信じられないプレゼント──このマンションを買い与えたとか、頭金を出したとか──をしたと親戚たちが噂していたのを聞いたことがある。実際には顎足付きでヨーロパへの新婚旅行をプレゼントすると云ってきたんだそうだ。
父さんたちはさすがに全部というのは断って、五つ星レストランでの夕食と極上ホテルでの二泊だけを受けた。僕が生まれると大いに喜んで、ことあるごとにプライベートジェットで会いにくる。悪い人ではないのだが、あのテンションには到底ついていけない。

翌朝、けたたましいチャイムで目が覚めた。日曜日の午前7時前に一体誰が……ボブだ。
「ムラタァ?」
「もう寝てらんないな、起きて仕度をしなよ」
ドアを開けると紛れもない、どんなときでもサングラスを外さないボブが立っていた。
「やあ、ボーイ。久しぶりだね」
「……いらっしゃい」
「入れてくれないのかい?」
「どうぞ。あっ、靴は脱いでくれます?」
まるで自宅のように寛いでソファーに座ると「それで、彼女は?」と云った。
「コーヒーでもいかがです。安い豆ですけど上手なんですよ」
「ボーイ、話をそらすのかい?」
「とんでもない。休日の早朝ですからね、まず頭をはっきりさせないと」
「おや、そうだったのか。これは済まない。で、美人かね?」
「朝食は? 僕は納豆が好物なんですけど、匂いがきついですけど、大丈夫ですか」
「 もちろん一緒に暮らしてるんだろ? 19才で両親の監視もないマンション暮らしなんだから」
「ついでにくさやの干物でも焙ろうかな」
「ボー……」
途切れた言葉に振り向くと、ボブは廊下を見たまま止まっていた。視線の先にはヨザック。
「ほう……これは予想以上の美人だ」
立ち上がったボブはヨザックの手を取ると「よろしく、私はボブ。君の名は?」
「私はグリエ・ヨザックです。あー、よろしく、ボブ」
シェイクハンドでご挨拶ってのはまあ分かる。だけど、握ったまま見つめあうってのは……ムカつく。
「いい加減にしてほしいんですけど!!」
僕の言葉なんて聞こえてない風に上から下までヨザックを見回すと「グリエ君、どうだろう、私のところに来ないかね」
「はい?」「はぁ?」
「君の力になれると思うよ」
(なに云ってるんだ、この親父)
だけど、ヨザックはまんざらでもないようだ。
「あの〜、本当に?」
(ヨザック!?)
「そうとも、君はもっと世界を見て、いろいろ勉強した方がボーイも喜ぶと思うんだよ」
「勝手に決めないで欲しいんですけど」
やっと手を放すと僕に向かって「人選としては正しいが……ボーイ、君は人を教育するには少し若すぎないかな?」
「なに……」、文句を云おうとしたが、どうも引っかかる。
「忘れてないかね。私は行く先々のほとんどの国で、大抵のことには融通してもらえる人間なんだよ?」、諭すような、脅すような、まるっきりギャングのボスのような口ぶり。
しばらく考えて「……例えば、とある国の国民を一人増やすような?」
僕の質問には答えはなかった。(異議なきときは、沈黙をもって答えよ、か)
「君たちの仲を裂こうってわけじゃない。約束するよ、時間はかかるが必ず返す」
「ボブ、実はこういうことが生業とか?」
意味深に笑いながらボブは「さあね」と誤摩化した。ヨザックを見るとたくさんの疑問符を頭の上に浮かべている。彼には言葉の裏を読むなんてことは高等すぎるのだ。
「ヨザック、ボブと一緒に行くかい?」、力なく云う僕に「ムラタァは私が……邪魔なんですね」と絶望感丸出し。
「違うよ。僕たちがずっと一緒にいるためにはいろいろとクリアしなきゃいけないことがあるんだ。でも、19才の、ただの大学生には絶対にクリアできないんだ」
(僕だからってだけじゃなく、普通の人でもやっぱりクリアできないよ。だって存在していなかった人間の、生まれてから今までの歴史と公的な記録を全部作り上げなきゃいけないんだぜ?)
「こちらの、ボブさんならクリアできるのですか?」、僕たちの真剣なまなざしにボブはただ笑顔を浮かべるばかり。この妙に自信たっぷりなサングラスの奇人に賭けてみるしかないじゃないか。

そうしてヨザックはボブとともに家を後にした。僕がこっそり計画していたクリスマスや正月の予定は全部パァー。いまさら両親のところに行くなんて、できやしないよ。

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