そう云えば俺が初めて陛下に会ったのはいつだったろう。そうだ、まだ父さんが生きてて、三人でここに来たときだ。門に数名の兵士がいて、墓前で今日と同じように陛下が一人、手を合わせていた。
両親と二言三言言葉を交わした後、父さんの足に隠れていた俺の視線まで腰を下げて「こんにちは、ソラ。大きくなったね」と笑いかけてくれた。俺は返事もせず(本当に黒髪と黒い瞳なんだ)と見つめていたっけ。

(『ソラ』かっ)、物心ついた頃、他では聞かない自分の名前の由来を母さんに尋ねると、「本当は別の名前に決まってたのよ。それなのにあなたの瞳を見たヨザックがいきなり『ソラにする!!』って。それまで散々考えてやっと決めたって云うのに、さすがにその時は腹を立てたわね。でも、『ソラ』ってムラタァさんがヨザックの瞳を評した異国の言葉なんですって。あなたの瞳はヨザックそっくりだし、実際、音としても意味としても考えていたのよりずっと良かったのよ」
俺は母さんのこの言葉で『脱力感』というものを始めて知った。こうした家庭で育った俺がもういない人なのに家族の一員のように語られるムラタァという存在を疎ましく思ったって当然だろ?

父さんが母さんと結婚したのは300才近かったんじゃないかな。長命な混血でもちょっと遅い方だろう。結婚した翌年には俺が生まれ、8年後、妹のベネラが生まれた。この『ベネラ』って名前でも一悶着あったのだが、それはまあいい。
周囲の人々の目に映る父さんは子煩悩の見本だったそうだ。確かに俺たちはかわいがられたが、欲しいものやしたいことがあるときはきちんと説明させ、納得できなければけして首を縦には振らない厳しい人でもあった。
あるとき、説得できなくて悔し涙を流す俺に母さんはこう言った。
「お父さんはとても苦労して自分の人生を切り開いてきたの。厳しい時もあるけど、あなたにも障害に負けない強い意思を持ってほしいのよ」
でも、父さんは過去をほとんど話してくれなかった。どんな人生だったのか知ったのは父さんの死後。陛下が一晩かけて話してくださってからだ。

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