創立記念の休日が終わって学校が始まり、廊下の先の教室からいつになく子どもたちの騒ぐ声が聞こえた。まだ休暇気分が抜けていないのかと威厳を込めて勢い良くドアを開けたが、中の光景を見て私は言葉を失った。子どもたちに囲まれた彼が「やあ、ハナ先生」と手を振っていたからだ。
「あの、どうして……」
「校長がベタ褒めでね。せっかくだから見させてもらおうと思って。あっ、後ろで静かにしてるから気にしないで」
「はあ……」
初めて赴任したとき以上の緊張感で授業を終えると「今日のお礼に夕食を奢りますよ。迎えに行きますから、あー、7時でいいですね、それじゃ」と歩き去ってしまった。ポカーンとする私を子どもたちが冷やかしたが、私の頭の中は(家、教えてないんですけど……)で一杯。

クローゼットの中を見てため息が出た。どれも彼の隣に立つ相応しい服ではない。眞魔国から払われる教師の給料は確かに良い。でも、着ていく場所もないのにドレスなど買う気もないし、ほとんどは人間の国や生活を見て歩いたり、書物に費やしてしまった。
「仕方ない、この前のにしよう」
約束の時間がきてノックの音にドアを開けると「やあ」、バッチリキマったスーツ。この満面の笑みに気後れせず挨拶できる女──いや、男も──いるだろうか。
「じゃ、行きましょ」
ブラブラと歩き、彼の足が止まったのは街一番の高級店。もちろん、私は入ったことなどない。
恭しく扉を押さえるドアマンもフロントマンも彼にはにこやかに「いらっしゃいませ」と云ったのに、後ろにいた私には(んっ?)とかすかに眉をひそめた。そして、ボーイに案内されている最中は周囲からチラ見の嵐。
(私だって場違いとは思ってるわよ!!)、開き直って堂々と歩き、いすを引く店員に貴婦人のように微笑んで「ありがとう」というと、「そういう顔つき、好きだなぁ」
「はい?」
「昔っから気の強い人が好みでね。まっ、夜は長いし、ゆっくりいきましょ」

彼の話術は巧みで、いつの間にか自分の生い立ちをしゃべっていた。父は陛下が即位された後数年、母も50年ほどまえに亡くなり、身内は姉が一人いること。教師になったのはあなたの影響で、とか。
「で、好みはスーツ?」
「いえ、そのぉ……女の格好は服だけじゃなく髪に化粧に靴にアクセサリーといろいろと大変なので。スーツはフォーマルなものを一着持っていればそれで済みますから」
「確かにそうだけど、でも、着飾ってみんなの注目を集めるのって最高じゃない?」
「だから式典の時はドレスだったんですか?」
「そっ。似合ってたでしょ?」、目を細めて笑う様はまるで猫のようだ。
おいしい食事にワイン、あこがれの人と語らう夜。こんな体験、二度とないだろう。
夜遅くアパートまで送ってくれた彼は「また、食事に誘っても良いかな。いつになるか分からないけど」と云った。断る理由など私にはない。
そうして、不定期に現れるグリエさんと食事やら街歩きやら、まるで上流階級のお嬢さんが監視人付きのデートみたいに過ごした2年後、私は眞魔国に帰国した。

派遣された教師は10年を一区切りとして、眞魔国に帰国する。帰国後半年間は教科書やカリキュラムを最新情報に更新したり、改善点の討議をしたり、師範学校で体験談を語ったり、次の任地についての希望を出したりして、残り半年は有給休暇が与えられる。私はいつも休暇の始め一月を姉と過ごし、残りは友人を訪ねて国内を旅行したりして過ごしていた。
「ハナ、お客様よ」
普段より高い姉の声に降りてみると、そこに立っていたのはグリエさん。もちろん姉の住所まで話した覚えはなかったが、もう驚きはなかった。
「やあ。帰ってるって聞いたから。よかったら、明日の晩、一緒に出かけないか? 王立劇場のチケットが手に入ったんだ」
『王立劇場』と聞いた姉の目の色が変わった。私が返事する前に「もちろん行きますわ。何時頃に迎えに来ていただけます?」
「えーと、誘っているのは……」
「分かってるわ。心配なさらないで」
「うふふっ、面白いお姉さんですね。開演は8時なんで、6時前でどうです? ここからだと2時間弱だからだから、到着したらロビーで一服できるでしょ」
「分かりました。私が責任を持って劇場に相応しい格好に仕上げますわ。どうぞ期待なさってくださいね」
その言葉通り、私は子どもの頃のように、姉の着せ替え人形になった。
「あなたは女性として凹凸が……とにかく、曲線を強調するドレスは似合わないわ。うーん、これは色が合わないし……そうだ、インゲのあのドレス!!」

「インゲ? お姉さまは一人だけではなかったの?」
「姉はヴェルマ、インゲは姉の連れ合いです。まだ聞きたいですか?」
「ますます興味が湧いてきたわ。続けて」

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