館の図書室には今でも珍しいほど紙に溢れていた。各地の地図、歴史書、戦術法、治水術に鉱山開発の手順書、農地開拓に作物育成などなど。それらの本を使って老人は俺を教育した。
さらに、身体が大きくなってくると剣の稽古をするため、屋敷に教師を呼ぶのではなく、街中に住む教師の元に通うようになった。
老人クラスの貴族なら街中に行くのにも普通は馬車を使うのだが、老人は後ろに護衛を控えさせて徒歩で付き添い、時にはスナックやら飲み物を買いながら、市場や商家の店先で物の価格や「金」の使い方を教えてくれた。
たぶん、そんな教育をしたのは老人くらいだろう。お陰で俺は世間というものを早くに知ることができ、自由に生きていくことができた。
剣の教師は退官した軍の教官で、ごく数名を相手に個人レッスンをしているようだが、生徒同士が顔を合わさないよう日程が組まれ、俺の他にどんな奴が来ているのかはまったく分からなかった。
週に二日だったが、館から出て活気ある街を歩くことが待ち遠しく思えるほど、楽しい時間だった。
そうして14歳になったころには、教官は俺の相手をした後、息を乱すようになっていた。
ある日、準備をして玄関ホールで老人が来るのを待っていた俺は、「旦那様がお呼びです」と老執事に云われて図書室に入ると、深刻な顔つきで手紙を見ていた老人は「本日は外出されませんように」と苦痛を滲ませた声で言った。
「なぜ?」
「いずれお話しますが、本日……いえ、しばらくは館をお出にならないよう、お願いいたします」
「でも」
「王子。どうぞ、……お願いですから」
この日、嫌疑をかけられた第五王子が身の潔白を示すため、というのは外向きの釈明、本当は自害させられたことを知ったのは、しばらく経ってからだ。
半分、血がつながっているからという意味ではなく、それまで老人たちに囲まれていた俺にとって、かび臭い書物の世界を、その目で見、聞き、いきいきとした口調で語り、溌剌としたその様子に微かな憧れの視線を向ける、兄の『ような』存在だった。
彼との出会いは老教官の、広間を改装した訓練場。
ある日、防御の訓練をしていると背後のドアが開き、壁際の椅子に腰掛ける音がした。長く通っていたが、ここで誰かと会うことなど今まで有り得なかった。訓練は常に真剣を使っているため、気になりつつも振り返ることが出来ず、教師の切先をかわし続けたが、斜に避けたとき座っていた客が視野に入って一瞬注意が疎かとなり、次の瞬間、「王子。今、あなたは死にましたぞ」と首筋に虫に刺されたような感触。
(くそっ!)
剣が下ろされて初めて後ろを振り返った。
明るい茶の髪、にこやかに笑う口元からのぞく白い歯、きちんとプレスされた軍服。立ち上がった若い男は「先生、お久しぶりです」と言いながらこちらに歩み寄ってきた。
「無事、お帰りのようですな」
「ええ、幸いにも。こちらは新しい生徒ですか? 実戦にはまだ危ないが、なかなかの腕のようだ」
「あまりお褒めにならないように願いますぞ、レイフ殿。その言葉を真に受けて、図に乗られては困る」
「はははっ、相変わらず厳しいですね。君はどこのご子息かな?」
どう返答しようか迷っていると、
「こちらの方はフス殿がお預かりしている、第十一王子でございます」
「ほう、それでは……弟というわけだね。これは心強い」
「王子、本日のレッスンはここまでとしましょう」
そうして、俺たちはしばしば顔を会わすようになった。
その頃からだ。街には兵士の姿が目立つようになり、街角でひそひそと話す人々が増え、そして、彼は殺された。

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