一週間の任務を終えて帰ってきたヨザックが、僕の部屋に忍び込んできたのはもう夜も更けた頃で。
『おやすみなさい、猊下。明日は一日中猊下の護衛ですから。一緒に朝メシ食いましょうね。』
夢と現を行ったり来たりしていた僕にそんな事を言いながら、寝台の端に腰掛けて僕の髪をゆっくりと撫でていてくれたのは確かに夢ではないはずだ。
彼の手からヤギ乳の匂いがして、今回の任務では初めて会った時みたいな食堂の美人お姉さんにでもなってたのかな~なんて思ったのを覚えてるし。彼の掌の感触が気持ち良くて、ヤギ乳のチーズは美味しいよな~、あ~、チーズリゾット食べたくなったな~、とか、取り留めない事を考えてるうちに寝入ってしまったけど。
でも、護衛の時はいつでも起こしに来る彼が今朝は姿を現さなくて、身支度を終えても扉は開かなくて。

 …おかしい。何かあったのかな?

急に別の仕事でも入ったのか、それともあれは僕が見た夢だったのかと思いながら、執務室へ向かう。もうこの時間ならフォンヴォルテール卿が仕事をしているはずだ。

「いかがされた、猊下。こんな時間に…グリエ?グリエなら昨日のうちに戻って来ている。は?ヤツの今日の仕事?特別な任務のない時は猊下の護衛を務める事になっているのは猊下もご存知のはずでは?」

今更な事を何故訊くのか、とでも言いたげに眉間の皺を深くしたフォンヴォルテール卿に礼を言って執務室を出る。
とりあえず、昨夜ヨザックが僕の部屋に来た事は夢じゃなかったらしい。緊急の任務が入ったという訳でもなさそうだ。
もしかして渋谷の所に挨拶に行っているのかとまだ執務前の渋谷の部屋を訪ねてみる。ちょうどロードワークを終えた所だったらしく、緑のジャージからいつもの学ランへと着替えている最中だった。

「お、村田!何だよ、今日は早起きじゃん。え、ヨザック?見かけてないけど?」

ついでに渋谷の着替えを手伝っているウェラー卿にも訊ねてみる。

「昨夜、猊下のお部屋の前で会いましたが…ええ、ちょうど出て来た所で。今朝ですか?今朝は見てませんよ。」

渋谷もウェラー卿も会ってない、と。
朝食を一緒に、との誘いを丁重に断ってヨザック探索を再開する。他にヨザックが行きそうな場所といえば…医務室?
もしかして今回の任務でどこかを怪我したのかもしれない。大した事はないと高をくくってたら内臓を損傷してた、なんて事だってある。特に彼の仕事はその危険が高い事に、今更ながら青ざめた。
急に不安になって、医務室へと急ぐ。

 こんな事なら、昨日、彼が帰ってきた時にちゃんと起きればよかった。

ヨザックの掌が暖かいのがいけないんだ、なんて責任を転嫁しながら医務室の扉を叩く。
中ではフォンクライスト父娘がなにやら書類をつき合わせて話し合いの最中だった。

「はい?…あら、猊下ではありませんか。いかがなされました?」
「ああ!猊下!一体どうなされたのですかこのような所に!お具合でも悪いのですか、それともどこかお怪我でも…あああああ、猊下の御身に何かあったら、このギュンター、生きてはおれませんと言うのに!」
「閣下、少し落ち着いてください。すみません、猊下。今日行われる衛生兵の特別訓練の事で相談をしていたものですから…はい?グリエですか?いえ、来ておりませんわ。ええ、怪我はしていないのだと思います。」
「おや、猊下はグリエをお探しなのですか?先程、ヴォルフラムがグリエを見かけたと言っておりましたよ。何でも厨房の方へ向かったとか…ああ、でもヴォルフラムはそのすぐ後にアニシナに捕まっておりましたから今頃は…」

身震いをする父フォンクライスト卿と、片眉をピクリと引き攣らせる娘フォンクライスト卿に挨拶もそこそこに医務室を飛び出す。
今まで得た中で一番の情報だ。って言うか、どうして今まで思いつかなかったんだろう。
昨日、朝ご飯を一緒に、って言ってたじゃないか。きっと何か作りに行ってくれたに違いない!
足取りも軽く、僕は厨房へと向かった。途中すれ違ったメイドさんに、良い事でもございましたか?なんて聞かれたりするくらい上機嫌な顔で。

 だって、一週間ぶりだよ?!浮かれない訳ないじゃないか。

厨房の入口で、忙しなく働いている料理人達に見つからないようこっそりと覗き込む。
…あれ?いない?
どこを探してもあのオレンジ色は見当たらない。落胆しかかって、もしかしてもう部屋へと戻っているのかもと思いつく。
そうだよ、きっとそうに違いない。
僕は部屋に向かって走り出した。すれ違う人達が驚いた様子で僕を見ているのがわかる。そりゃそうだろう。僕が渋谷と違って運動がからきし苦手なのはもう周知の事実だ。

 でも逢いたい。少しでも早くヨザックに逢いたい。

勢い良く僕の部屋の扉を開ける。部屋にはおいしそうなチーズの香りが漂っていて、テーブルの上に二人分の食事が準備されていて。
でも…
「なんで、いないんだよ…」
僕は思わずその場にしゃがみ込んだ。自分の荒い息遣いがやけに大きく聞こえて、それがとても寂しくて。
逢いたいのに。あの姿を、あの瞳を見たいのに。あの声を聞いて、あの腕に抱き締めてもらいたいのに。
「ヨザック…」
膝を抱えて小さく呟いた時、慌てた様子で廊下を走る靴音が聞こえてきた。僕が振り返るのと同時に、その足音が部屋に飛び込んでくる。
「…!いた!猊下!どこ行ってたんですか、もう!散々捜しちゃったでしょうが!」

 ああ、ヨザックだ。やっと、逢えた。

ようやく見る事の出来たその姿に涙腺が緩みそうになったけれど、それをグッと堪えてジロリとその瞳を睨みつける。
「それはこっちの台詞だろ。君こそ、僕を起こしに来もしないでどこ行ってたんだよ。」
「確かに起こしちゃいませんがね、ここには来てますよ。ちゃんと手紙置いてったでしょう、朝メシ作ってくるって!」
「…え?」
「ほら!」
ヨザックが指した寝台横の小さいテーブルに、確かに一枚の紙が置いてある。
「…気づかなかったんだよ。」
「気づかなくったって、一緒に朝メシ食いましょうって約束したんだから、多少オレが現れるのが遅くなっても部屋で待っててくれるもんじゃないんで?」
ちょっと拗ねたような口調に、僕も負けじと口を尖らせる。
「そんな夢うつつでした約束なんて、覚えてる訳ないじゃないか。」
「夢うつつで約束した事は覚えてるんじゃないですか…」
がっくりと項垂れて、ブツブツと文句を言い始める
「猊下が食べたいって言うから作ってきたのに。アツアツの方が美味しいって隊長が言ってたから作り立てを食べてもらおうと思って頑張ったのに。グリ江の努力ってば報われないわあ…」
僕が?アツアツ?
何の事かとテーブルの上の料理を良く見ると、そこに置かれていたのはまだ湯気の立ち上るリゾット。
「…あれ?これって…」
「食べたいって言ってたでしょう、『ちーずりぞっと』。昨日、ここを出たらちょうど隊長に会ったんで、作り方教えてもらったんですよ~。」
ホント、アノ人は何でも知ってますよねぇ、なんて肩を竦めるヨザックを思わず見上げた。僕の視線に気づいた彼が優しく微笑んでくれて、もうそれだけで幸せになれる僕は本当に彼の事が好きだなあと思う。

 僕の中にあるありとあらゆる負の感情が、彼が傍にいてくれるだけで消し飛んでしまう。
 うん、僕は彼に逢いたかった。ほんの些細な不安も、ほんの僅かの寂しさも、彼に吹き飛ばしてもらいたかったんだ。

「…口に出した覚えはないんだけど。」
傍にいてくれる事が何だか無性に嬉しくて、つい口元がほころぶ。出てくる言葉は可愛くないけれど。
「あ~、まあ、寝言みたいだな~、とは思ったんですがね。ま、いいじゃないですか。」
それでも嬉しそうに、でも照れくさそうに頬を掻いたヨザックは、そんな気持ちを誤魔化すようにニヤリと笑った。そのいつもの表情に、彼が無事に帰ってきた事を実感する。

 そうだよ、僕ら、一週間ぶりなんだよね。

「ヨザ。」
席に着いて匙を手に取りながら、澄ました顔で彼に声をかける。
「何ですか、猊下?」
僕の向かいに腰を下ろしながら、ヨザックが僕を見る。
「これ食べ終わったら、僕とイチャイチャしようか?」

 彼がなんて答えたかなんて、言わなくてもわかるよね?

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