「ああ、疲れた…」
いつもより煌びやかな漆黒の正装を着た村田がドサリとベッドに倒れ込む。
今日のパーティーの主役である有利をパーティーから抜け出させる為に、普段の五割増で笑顔を作った数時間。いつもは壇上の椅子に座ったままの大賢者が珍しく楽しげに会場内を歩き回っていれば、人々の関心を集める事もたやすい事で。
あっという間に会場内の視線は村田に集中し、その隙に有利はその護衛共々こっそりと姿を消したのだが。
「いくら渋谷の為とはいえ、まるで拷問だったよ…」
大きくため息を吐いて、ごろりと仰向けになる。やり過ぎじゃないかと思うほどに着飾った人々の衣装や装飾品がまだ目の前にちらついている気がしてギュッと目を閉じたら、今度は入れ替わり立ち代わり傍に擦り寄ってきた女性達から漂っていた香水が未だ香る気がして。
「視覚も嗅覚も大ダメージだ…何だか、耳鳴りもするし。」
絶えず聞こえてくる美辞麗句は、種類も量も増えるとただの騒音と同じになる。その言葉が本当は空っぽだという事がわかっている分なおさら。
様々な記憶上の経験から、自分の意思で感覚を閉じる術は身に付けている。でも、今日は有利の代わりを務める都合上、そういう訳にもいかなかったから。
「…いやいや、今日は良く頑張ったぞ村田健。僕が上司だったら、特別賞与モノだ。」
自らを奮い立たせるように一人ごちると、村田はのろのろと起き上がり上着のボタンをゆっくりと外し始めた。二つ目のボタンに手を掛けて、ふと、その手を止める。
―― そういえば、今日は逢えなかったな…
同じパーティに、女性に扮して紛れていたはずのヨザックの事を思い出す。諜報の仕事の一環だったので護衛として傍に置く事は出来なくて。

時折、囲まれた人垣の向こうに綺麗に結い上げた橙色の髪を見たけれど。
いくつもの種類の香水に混じって、嗅ぎ慣れた甘い香りが鼻腔を擽ったけれど。
ワインが入っていたはずのグラスが、いつの間にか果汁の入ったグラスに換わっていたりしたけれど。

いるはずなのにその姿を見つけられないもどかしさ。でも、逢う事は出来なくてもその存在を感じる事が出来たから。
―― だから乗り切れたのかもしれない。
そんな事を思いながらクスリと笑う。おそらく美しく着飾っていたのだろうその姿を思い浮かべて、心がふんわりと温かくなった。
「ふわぁ~……」
急に感じた、目を開けていられないほどの睡魔に、村田は大きく欠伸をした。彼を思い出すだけで安らいだ気持ちになるのは、ヨザックがいつも優しい笑顔で自分を見てくれていると信じていられるからだろうか。
―― 今日はもう、このままでいいや…
着替えを諦めて大きく伸びをする。目尻に溜まった涙を指の背で拭って、枕へとにじり寄った。再び出そうになる欠伸を枕に顔を押し付ける事で堪えて。
―― 明日には、逢えるといいな…なんなら、夢の中でだっていい。
口元に笑みを浮かべたまま、村田は深い眠りへと引き込まれていった……

『猊下…猊下…?』

遠くで僕を呼ぶ声がする。

『猊下、オレですよ~?』

ん、ヨザ…?

『着替えもしないで…折角の素敵な衣装が皺になっちまってるじゃないですか。』

だって、すごく眠かったんだよ。

『ほら、夜着に着替えてましょうって。ね、猊下?』

無理。身体動かないもん。

『猊下~?…参ったな、熟睡しちまってる。』

ん~?僕、熟睡してるの?じゃあ、これは夢なのかな?

『まあ、仕方ないか。一日中頑張ってたもんなぁ…』

君もそう思う?やっぱり特別賞与モノだよね?

「あれ?猊下、起きてるんですか?」
眠っているはずの村田の口元の笑みが深くなったような気がして、ヨザックはその閉じられた瞳に顔を近づけた。ピクリとも動かない瞼と、穏やかなその寝息。
「…やっぱり、寝てる。」
ヨザックは苦笑すると、ベッドの端にそっと腰掛けた。
諜報の仕事は嫌いじゃないし、自分の仕事が国や王の役に立っているという自負もある。でも、あどけない顔で眠るこの目の前の愛しい人が、今日のように表情はどうあれ心の中で大変な思いをしているのをただ遠くから眺めるしか出来ない事は、ヨザックをたまらなく悔しい気持ちにさせる。

人垣の隙間から覗いたその表情が一瞬疲労を見せた時も。
媚びた笑顔で擦り寄っていく女性達からさり気なく離れようとする足元を見た時も。
妖しげな薬をこっそりと入れられたグラスを誰にも気付かれないようにそっと背後から取り替えた時も。

どうして自分はこの人をすぐ傍で護る事が出来ないのかと、任務など投げ打ってあの場所から連れ出してしまいたい衝動に何度も駆られたけれど。
―― でも、そんな事しても貴方は喜ばないでしょ?
そしてそういう村田だからこそ自分は何物からも護ってやりたいと思えるんだという事をヨザックは知っているから。
「……本当に、お疲れ様でした。」
枕に半分顔を埋めるように眠る村田の、癖のある漆黒の髪を何度もそっと撫でる。労いと、愛しさと、少しでも癒されてくれればいいという思いを込めてゆっくりと。
「…明日はずっと一緒にいられますよ?だからのんびり過ごしましょうね。ここでダラダラするのもいいし、どこかに出掛けたっていいし…猊下は何がしたいです?やっぱり読書ですか?時折オレの事を思い出してくれるなら、それでも全然構いませんよ?」
低く甘い声の優しい響きが部屋に満ちて、それに呼応するように村田の睫毛が僅かに震える。ヨザックが愛しそうに微笑みながらその瞼に口付けると、ゆっくり弧を描いた唇から吐息のように囁きが聞こえた。それを聞いたヨザックの胸がじんわりと温かくなる。
「…本当に可愛いんだから、ケンちゃんは。」
ヨザックは嬉しそうに微笑むと、飽きる事なく村田の髪を撫で続けた。

ふとした時に脳裏に浮かぶ、自分を見つめる綺麗な笑顔。
眠りに落ちているはずの唇から幸せそうに紡がれる、自分の名前。
たったそれだけで心がこんなにも満たされる、そんな幸せを。

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